(※ これは5月20日札幌で行われた、「北海道交通事故被害者の会」主催の講演会で、柳原三佳氏の行った   北海道交通事故被害者の会、柳原三佳氏のご了解をいたき掲載させていただいているものです)

講演記録

2000.5.20. 於:札幌ガーデンパレス 

「北海道交通事故被害者の会」主催の講演会

これでいいのか交通事故

― 被害者の立場から、交通事故捜査と損害賠償のあり方を考える ―

        ジャーナリスト  柳 原 三 佳

はじめに

昨日の午後から、弁護士との勉強会に参加し、田中先生に交通事故のお話を伺ったりしてきました。その中で、私が驚き、また嬉しかった事は、北海道警察の方々が多数こられていたということです。取材を始めたばかりの頃は、広報を通し、質問内容をメモに書いてファックスを送れと、そして、それに対してわりと型にはまった答えが返ってくるというだけのやりとりでした。最近、ようやく直接教えて頂けるような間柄になってきましたが、昨日の様に警察の方々と一つのテーマに対して一緒に議論出来るという場はほとんど無かったので、非常に有意義だと感じるとともに、北海道は被害者の方々と警察との連携で交通事故を減らそうという動きが、非常に活発に行われていると思いました。私は全国各地の事件を取材しているのですが、本当に昨日は驚きました。

ツーリングクラブと事故

さてここで、私の自己紹介を簡単にさせて頂きます。

現在、交通事故をテーマにして「週刊朝日」や他の雑誌などで記事を書いているのですが、損害保険会社に対する批判的な事だとか、警察の捜査がおかしいのではないかとか、どちらかというと過激な記事を書くことが多いですね。では、なぜ交通事故の記事を書き始めたのか...。私は10代の頃から車やオートバイがすごく好きで、父に反対されながらも中型の免許を取り、大学に入ってからはツーリングクラブに入って、全国各地をまわっていました。当時難しいと言われていた限定解除を取り、今はナナハンに乗っています。

そんな感じで自分自身、バイクや車に積極的に乗っていたのですが、身近で、同じクラブの友達が2週間に2人連続で亡くなるとい

う悲しい出来事がありました。1人は、ツーリングの待ち合わせ場所に来る途中で単独事故を起こして亡くなりました。そして、2週間後に彼の追悼ツーリングということで、出かけた時にまたもう1人、車と正面衝突をして亡くなりました。当時、私は自分がバイクに乗れるということと、文章を書くのがすごく好きだったということで、バイク雑誌の編集という仕事をしていました。1980年代というのは、バイクブームで女性でもバイクに乗る人が多く、ニューモデルが出たらそれに乗って全国各地をツーリングしたり、インプレッションを書いたり、バイクの楽しさ、旅の楽しさについての記事をよく書いていたのです。でも、バイクの楽しさを伝える裏側で、交通事故というこんなに悲惨な出来事があることを、私は友人の死をきっかけに痛感しました。交通事故の恐い部分とか理不尽な部分を、誰かが伝えていかなくてはいけないのではと。もちろん、その頃はそんなに深くは考えておらず、ただ、楽しい楽しいという記事を書き続ける事に対して、ちょっと疑問を感じたという程度でした。

バイク事故を記事に

ある日、あるご遺族から、自分の息子がバイクの事故で亡くなったという話を聞きました。当初、加害者は「自分が悪かった。自分がセンターラインをオーバーした為に息子さんを死なせてしまった。申し訳ない。」と土下座をして謝っていたのに、半年ぐらい経ったら「バイクが先に転倒して、自分の所にすべってきた」というような話に変わってきたとおっしゃって、その件に関して色々と相談を受けました。それでこんな理不尽な事があるのだろうかというふうに感じて、その事をある雑誌で記事にしました。そうしたら、全国各地からどんどん「実はうちの息子の事故も、こういう理不尽な処理をされているのです」とか、「被害者ですけど本当に処理がおかしいので、私の事故も取材してほしい」と、具体的に裁判資料とか調書のコピーとか、いっぱい手紙がくるようになりました。その方々に「お手紙ありがとうございました」と手紙や電話をしますと、その方とのコミュニケーションが生まれ、裁判を傍聴人したり、事故現場を見に行ったり、ということをしながら1件1件取材し、そして記事を書けばまた手紙がくる、そういうことを何度も繰り返していました。

事故鑑定に立ち会って

その中のひとつ、バイクと乗用車の正面衝突で、バイクの方は即死という事件を取材したときのことでした。バイクが一方的に飛び出したという事になっていたのですが、たまたまこの事件は、後続車が一部始終を目撃していたということもあり、どうもおかしいということで、ご両親がスクラップ屋にまわされていた加害者の車を買い取って、息子さんのバイクと両方を保管し、なんとかこれで手がかりがつかめないかとたたかっておられたのです。その方の取材に行った時に、現地で交通事故鑑定人の駒沢幹也さんと知り合いました。たまたまその日、駒沢先生が両方の事故車の鑑定をするところに立ち会うことができたのです。そしてその時、2台の事故車をつき合わせて、「こういう角度でぶつかっている」「この傷はここだ」「息子さんのジャンパーのファスナー跡がボンネットに残っている」など、本当に細かく細かく再現していかれたのです。これでもし事故車が無かったら、こういう事は全くわからなかっただろうな、といろんな驚きを感じました。交通事故鑑定というものを初めて見たのをきっかけに、今度は駒沢先生が手がけた様々な事故を取材するようになって、定期的に「週刊朝日」などで連載をするようになった訳です。

システム的問題

取材をしながら徐々に「あれ」と思い始めたのは、5年ほどたった頃です。毎回毎回、全部事件は違います。違うけれども、みなさんの怒りの矛先が、本当だったら加害者本人にいくものだと私は思っていたのですが、もちろんそれはあるのですが、みなさんの怒りがパターン化していることに気づいたのです。例えば、警察の捜査は本当にこうだったのだろうか? どんな事故だったのか知りたいが、どこにいっても誰も何も教えてくれない。何も分からないのに、損保会社から突然過失割合を突きつけられる。体に後遺障害が残っているのに「たいした事ないよ」と言われてしまう。ある時気がついたら、加害者は全く姿を見せない。あれ、どうなっているのだろう? 事件はそれぞれみんなバラバラだけど、みなさんが話される事は、ほとんど同じなのですね。

これはひょっとすると、個々の事件に含まれている問題というよりも、今の交通事故の捜査、それから損保会社とのやりとりなど、いろんなことが、どこかシステム的に問題があるのではないかと、徐々に気づかされたといいますか、たくさんのご遺族や被害者の方の話を伺ってわかってきました。本当にどこに原因があるのかなど、答えが出せている訳でも無く、また今日もどこかで事故は起こっているはずなのですね。そういう状況の中で、私自身は新聞の片隅にある小さな記事で伝えられる交通事故の一件一件に家族の愛情があり、苦しみがあり、小さいで片付けられない、本当に大変な問題なのだということを活字にして、それをまだ交通事故に遭った事の無い人だとか、ドライバーの人とかに1人でも多く読んでもらって、交通事故を1件でも減らすように、誰かの心にブレーキをかけられたら、という気持ちで記事を書いてきました。

今日は、北海道で被害者の会という素晴らしい組織が誕生したということで、今後どういう活動をしていただけるのか、自分達が体験した様々な理不尽な事を、この交通社会にどういう形でもどしていけるのか、私の考えをお話するのと同時に、実際起こっている、私が非常に問題だなと思っている事を、今日この会場にみえているあるご遺族と一緒に検証してみたいと思います。それから、よく「死人に口無し」というような言葉を聞きます。ものを言えない立場の人間は非常に不利ではないかと。これについて私自身取材の中で、「本当にそうだ」と思うことが多々ありまして、そういうものを私なりに、それはある意味本当ですよということを裏付けてみたいと思います。

父の医療過誤被害のこと

朝日新聞と毎日新聞の記事のコピーを資料として添付させて頂きました。なぜこんな記事を、と疑問に思われた方がいると思います。「県立奈良病院副作用訴訟 遺族側が逆転勝訴」。大阪高裁で去年出された判決です。同じ事件を報道したものですが、「奈良の男性、薬剤併用で副作用死」。中身は後で読んでいただいて、こういう事があるということを誰かお一人でも心に残していただけるとありがたいのですが、実はこの遺族というのは私で、副作用で亡くなったのは私の父です。父は今から6年前に扁桃腺の治療をする為に、通院していた訳です。7日間通院しました。私の一番下の妹の結納がありまして、末っ子が結婚するということで父もすごく喜んで、扁桃腺なのでたいした事もないと結納にも出席し、家族みんなで幸せな気分に包まれていました。その翌日の朝、娘を保育園に送って行こうという時に、母から突然電話がありました。「お父さんがちょっと大変なの。駄目かもしれない」。私は一瞬、交通事故か何かだろうと思いました。よく聞いてみたら、大量に吐血をして突然立ち上がれなくなって、救急病院に運ばれたと

言うのです。何が起こっているのかまったく分かりませんでしたが、その時の母の言葉の感じからは、ものすごく緊迫感が伝わって

きました。私は千葉にいますので、どうしようと思いましたが、「とにかくすぐに来て頂戴」と言われて、急きょ会社に行った夫に連絡をして駆けつけました。着いたのは夕方でしたが、緊迫した救命措置の中で耳鼻科の担当医達があたふたしながら、「ステロイドを使っていたからな」という言葉を母が聞いたらしいのです。母は「ステロイド」というこの言葉を忘れてはいけないと思ったらしく、必死でメモしていました。私もステロイドって皮膚に塗る薬というような印象しか無かったので、なんで扁桃腺の治療にステロイドなのだろうと思いながらも、全然意味がわからないのです。

結局、父は胃を切り取る緊急手術を受けました。しかし、病院側からは何も説明はありませんから、なぜこうなったのか、なぜ昨日まで耳鼻科に通っていた人がこうなるのだろうと思いました。そしたら妹が、実は父が前々日くらいに「真っ黒な便が出る」と言っていたというのです。たまたま妹が病院につきそって、父が医者に「炭みたいな便が出るのですけど」と言っていたのを、妹は聞いていたらしいのです。そうしたら医者は「それは薬の影響ですよ」という一言で、非常に簡単に流されたので、父は「そうか」という感じで帰ってきたそうです。結局、胃をすべて切り取りました。私は単なる「胃潰瘍の手術」という報告を受けていましたから、胃潰瘍だったら麻酔が覚めたら目が覚めるだろうと思っていたら、今度は食道だ小腸だと、ありとあらゆる消化器官が溶けてくるのです。私はその頃から、たくさんの交通事故の取材をしていましたから、交通事故と医療過誤とはちょっと違うけれども、これは何かの時に証拠、つまり客観的な

事実が必要なのではと思って、その時出来る限りの事を考えました。私は「ステロイド」という言葉を手がかりに「一体、これは何なのか」と、医者や看護婦をしている友達に電話で聞きまくりました。どうやら、ステロイドという薬は、腫れを抑えるのには有効なのだが、副作用のナンバーワンが「胃潰瘍」という非常に恐い薬であるということがわかりました。また、そういう薬を使う時には入院をさせて、きっちりと患者さんを見なくてはいけないと、みなさんがおっしゃるのです。「これ、ひょっとして、薬の医療ミス?」と思いながらも、ただ「どうしてくれる、悔しい」では何も前に進まないし、病院は何の説明もしてくれない。それで、カルテを見るにはどうしたらよいか、父の体にどんな薬がどのくらい入ったのか、それをチェックするにはどうしたらよいかと考えました。

父がその時入院していた救急救命センターという所は、1日に15分くらいしか面会出来ないのです。体を拭いてあげたいと思っても、まったくそういう事も出来ない。そんな中で私は弁護士に相談に行って、「カルテを見たい場合はどうしたらいいのか」と聞きました。そうしたら、裁判所に申し立てて強制的に差し押さえるという事で、必要な書類を病院に探られないようにコツコツと集めたり、色々な作業をしていました。でも、結局カルテを差し押さえるのに3週間かかると言われ、3週間後を待ちに待っていたのです。

その間、父の容態はどんどん悪くなり、意識は戻らないという状況でした。奇しくも、明日がカルテ差し押さえの日という真夜中に、父は亡くなりました。本当にショックでした。なんとも言えない悔しさ。順番で言えば父が先に亡くなるのですが、天寿をまっとうせずに亡くなったこの悔しさというのは、ご家族を亡くされた方ならわかって頂けると思います。

最終的には何の説明もありませんから、裁判になっていく訳です。民事裁判を経験されている方もいらっしゃるかもしれませんが、この民事裁判というのが大変でした。医療過誤の場合は、医学の専門的な知識の論争になってきますから、素人ではたたかえないのです。弁護士も鑑定の協力医を見つけなければ勝てないので、協力医を探すのにも一苦労しました。県を相手の訴訟でしたから、みんなにはこんな裁判やっても医療過誤はほとんど勝てないと言われました。その時、私たち家族が何回も話し合ったことは、「父が理不尽な形で亡くなった事を無駄にしないために、これをたたかって何か形に残そう。病気を治そうと思って行く病院で、逆に重体になって死んでしまうという事が1件でもあってはおかしいし、ステロイドという薬がポピュラーだけどこんなに恐い薬だということをわかってもらうために」ということでした。

それで、私たちは勝つ見込みはほとんど無いと言われている裁判に立ち向かいました。結果的に、奈良地裁の一審判決は、私たち原告側の完全敗訴。妹が父と医師とのやりとりを聞いていましたが、相手はうそで塗り固めてきまして、それを裁判官が採用してしまったために負けました。その時も、絶対に医療過誤は無理だからといろんな人に忠告をされました。悔しい体験として、医師会の弁護士が準備書面に「父が入院し生死をさまよっている時に、カルテの差し押さえ(ようするに損害賠償の準備)をするなどという情愛の無い娘」と書いてきた時にはカーッときましたね。民事裁判とはこのようなものかと思いながらも、私は文章を書くのが得意ですから、反論の書類を提出したり色々な事をやって、ようやく大阪高裁で逆転勝訴が出来たのです。

この判決の中身は非常に濃いもので、こういう薬を使っている時にはしっかり検査する義務があると、医者にとっては大変な検査義務という部分をしっかり明記してくれた判決でした。一生懸命たたかった事によって、何か形に残せ、勝ち負けに関係無く後悔はしませんでした。

同じ被害者を生まないとりくみを

被害者の会の皆様に私の経験としてお伝えしたいこと、それは、もちろん「裁判」という形でなくてもかまわないのですが、亡くなった人、怪我をした人は元には戻れないけども、それが理不尽な形であれば少しでもその理不尽さを解き明かして、次の同じ被害者を生まないための取り組みをすることが、家族に残された使命の様な気がします。ぜひ、この会でみなさん結束をして、色んなやりとりの中で、社会人として納得出来ない部分や倫理的におかしいと思う部分がたくさん出てくると思いますが、そういうものを「しょうがないや、こんなものか」と流すのではなくて、一つ一つ声を上げていくことで必ず何かが、どこかが動くと私は確信しています。

交通事故問題のネットワークを

今回、札幌という地と交通事故の事でご縁を頂いたきっかけというのが、この医療裁判がきっかけだったのです。医療過誤の問題で大阪に「コムル」という患者支援のネットワーク、市民グループがあります。例えば弁護士さんが「こういう医療過誤事件が起こったけど、どなたか協力してくれる医者はいませんか」と相談をすると、ネットワークの中で「こういう先生がいらっしゃいます。どうですか?」とか、的確な情報を私達や弁護士が得る事が出来る、そういう組織があるのです。

実は札幌の村松弁護士という方が、「コムル」の代表の方と知り合いだったのです。村松先生とその方の話の中で、私の名前が出たそうです。私が交通事故の記事をたくさん書いていたからだと思うのですが。「柳原さんは今医療過誤裁判で私達ともつながりがある」と言う話でつながりまして、その方の紹介で村松弁護士と初めて東京でお会いする事が出来たのです。その時に村松弁護士とお

話をしたのは、「交通事故にもネットワークが必要ですよね、だけど今はそういうものが全く無くて被害者の方々がどこに相談に行っていいか分からない。例えば、誰かに協力をお願いしたいと思っても全然分からないから、そういう会を作りたいね」と。じゃあ今度札幌で勉強会するから、一緒にやろうよと声を掛けて頂いて、今年の2月に札幌で勉強会をスタートさせました。その時に、この北海道交通事故被害者の会の前田さんとも知り合いになる事が出来たのです。

家族を亡くして落ち込んでいる時に、出来ればすべての事にふたをして冥福だけを祈っていきたい、私も正直言ってそういう気持ちにもなりました。私は特に、自宅が千葉で、裁判をしていたのが奈良です。弁護士は大阪の方で、打ち合わせのたびに大阪、そして裁判のたびに奈良でした。そのたびに私は小さい子どもを連れて傍聴に行ったり、かなり大変でした。でも、外に向けてやっていく事でいろいろなつながりが出来ましたし、がんばってきて良かったなと思っています。

過失割合とは

次は交通事故の問題です。最近私が週刊朝日で、村松弁護士の協力を得て書いた記事を添付しました。『損保会社「払い渋り示談」の手口を暴く』という記事です。事故が起こった後、相手のある事故の場合、例外なく賠償交渉というものがスタートし、「過失割合」とか言われたりすると思うのですが、これって何だろうというのが最近非常に疑問に思うことです。この一覧表を見て頂いてわかるように、最初に損保会社の方が「あなたの損害はこれだけですよ」「あなたの息子さんが亡くなった損害はこれだけですよ」と提示してくる金額と、それから弁護士が入っての示談斡旋とか、裁判をして最終的に確定する金額とではかなりの開きがあるという事例が多発しています。過失割合が逆転したり、「100%」と言われていた過失が実はそうではなかったというふうに変わってしまうパターン。それから、個々の損害費目、例えば慰謝料だとか葬儀費用だとか、そういう個々の金額がものすごく低く算定されている場合と、大きく二つのパターンがあると思います。過失割合ってそもそも、どうやって何を根拠に決めていくのだろう。私の所に被害者の方から相談がある場合、まずここから入ってきます。

たとえば、最近こんな事故を取材しました。「青信号で直進してきた息子が、急に曲がってきた右折車に巻き込まれて亡くなった。それなのに損保会社は、過失割合は五分五分と言うのです」ご遺族は納得できません。普通、青信号で直進だったら過失は無いと思うのですが、損保の世界では基本の過失割合というのが「8対2」らしいのです。さらに、警察をはじめ色々な調べで、バイクがスピードを出していた、法定速度より30キロくらい出ていたらしい。だから「修正要素として3割過失を乗せ、五分五分となりました。自賠責の上にあと500万円くらいで、これで示談しましょう」という通知書が損保から送られて来たそうです。これでは遺族として納得出来ませんよね。その息子さんは、白バイ隊員を目指して一生懸命練習を積んでいたそうです。そういう息子さんが、青信号で直進

していたのに、何でそんな言われ方をされなくてはいけないのだと。ただ、速度がどうであったかとかそれを調べる事は非常に難しいですし、客観的な証拠が無いのです。

そして、20日間くらいの猶予が与えられ、「それまでに回答が無い場合は、この条件をのめないものと判断し、法的措置を取ります」と書いてあったそうです。だから話し合う余地などなく、一方的にそういう事を突きつけられて、結局この事件は裁判になっています。

自賠責「無責」ということ

「自動車損害賠償責任保険お支払い不能のご通知」という資料を見て下さい。「息子さんのご遺族には全く自賠責保険金が支払われません」と記されています。この事故の被害者は、22歳の玉田泰河さんという男性で、路線バスとバイクとの正面衝突事故でした。

「結論」というところに、「乗り合いバスは無責として処理します」と書いてあります。「無責」という言葉をご存じですか? これに関しては、以前「週刊朝日」で書いたのですが、無責とは「加害者には全く責任が無い」という意味だと思って下さい。つまり、「被害者が100%悪い」ということを意味している言葉です。被害者が100%悪いと判断されると、加害者には損害賠償の責任は生じない事になります。ですから当然、自賠責保険は遺族には支払われません。自賠責が支払われないという事は、その上乗せになる任意保険もゼロです。つまり2台の車が絡んだ事故ではあるけれど、単独事故と一緒です。理由というところに「本件、バスは正常に走行中、対向の玉田車の中央線突破が至近距離のため、避譲の措置をとるも及ばなかったもので、過失はないものと判断します」と書かれた1枚の紙、これだけが遺族の元に届けられました。

死亡事故で高い「無責」率

この問題点について、数字で見て頂きたいと思います。右に「死亡事故で非常に高い無責率」とありますが、被害者が相手のある事故で亡くなって100%過失ですよと言われる事故が年間どれくらいあるのか、私が調べたものです。私が調べた当時は97年でしたから、とりあえず97年度の欄は見ないで頂きたいのですが、96年度までの、約5〜6年間のデータが送られてきたんです。それを見ると、毎年700〜800人の死亡者が、無責として判断されていました。年間に交通事故で亡くなる方はだいたい1万人くらい、それは24時間以内の死者ですから期間を延ばすともっと増えますが、およそ1万2000人としても、その中で800人もの方が100%悪いと言われているわけです。電柱にぶつかったとか、がけから転落したというような単独事故もたくさんあるわけだから、自賠責の対象になる事故というのはもっと少ないはずなのです。その中でみると、死亡無責の比率はかなり高いなというのが、私の正直な感想でした。一方、負傷事故で無責と言われた人、これは両方の当事者が生きて反論出来る状態だと考えて頂ければいいと思うのですが、その場合は毎年だいたい6000〜7000人が100%悪いですよと言われています。しかし考えてみると、亡くなる方は1万人くらい、怪我をする人は80〜90万人いらっしゃる。それを分母にして計算してみると、亡くなって無責と言われる確率はだいたい7%、それに対して怪我をして100%と言われるのは0.7%くらいでした、つまり、亡くなってしまうと無責だよと言われる割合が10倍くらい高いというのが、この表をまとめた時に「え!」と思った実態でした。これに関しては、この記事を「週刊朝日」で発表した直後に国会で取り上げられ、そしてすぐに運輸省が損保業界と自算会(自動車保険料率算定会)に対して、適正な査定をするようにという指導通達を出しました。それで、翌年(98年度)から、査定方法が改善されたわけです。

玉田さんの例

無責の判定の裏側にどんな問題が隠れていて、また、無責と言われたご遺族はどういう体験をされているか。今日ここに、苫小牧から玉田勝治さんがおみえです。玉田さんにここに出て来て頂いて、どういう事故だったか、今どういうふうにたたかっていらっしゃるのかを、聞いて頂きたいと思います。

事故は平成8年の12月に神奈川県で起こりました。玉田さんは当時、神奈川にお住いでしたが、現在は故郷である北海道に戻られてたたかっておられます。

「玉田さんまず、この無責通知が届いた時の感想と様子を教えて下さい」

玉田「私の息子ですが、22歳でバスに衝突して即死状態でした。平成8年12月29日という、すごく押し迫った時期だったので私は大変な目に遭ったのですが、その後、知り合いの代理店の方にお願いをして被害者請求を相手方の自賠責の損保会社に提出しました。それが、翌年、約3ヶ月くらい経ってから、1枚の支払い不能通知というのが来まして、これを見た時に、何もかも、今まで自分なりに

考えてきた事が全部崩れてしまったと思いました。息子には確かに過失の部分はあったのだろう、しかし、全部が息子の過失だとは絶対に認められない気がしました。私はこういう事に対して素人なもので、友だちなどに教えられて2台の車が正面衝突した場合、たとえセンターラインをオーバーした、しないという事があっても、こういう無責という判断はありえないと教えられたものですから、これが来た時には本当に驚きました。無責とは、私の息子が全面的に悪いという事ですから。これでは納得出来ないという事で、その後たたかいになったわけです」

「バスは正常に走行中、玉田さんの息子さんが中央線突破をしたと書いてありますけど、この理由を、何か用紙の他に、写真などで裏付ける様な説明はありましたか」

玉田「それは一切ありません。警察の説明で、亡くなった時から四十九日間、遺族はこういう交渉をするべきじゃない、それが常識だと言われました。私はそういうものなのかと思いましたが、その間に証拠物も何も一切無くなってしまうという、考えられない事が起きてしまいました。相手方が神奈川でも大きなバス会社の運転手なので、そういう大きな会社の言う事は正しいのかなと感じてしまったのですが、その間にバスは全部修理されてしまいました」

「本当にそうなのかと調べてみようと思われたのですね。玉田さん、息子さんのバイクや衣類はどうされましたか」

玉田「これもすごい話なのです。息子が亡くなって10日ほどしてから、警察へ妻と一緒に行きましたが、警察から『私たちが息子さんに代わって何もかも証明します、お父さんお母さん安心して下さい』と言われて、私は当然、警察官の言う話ですから『ぜひよろしくお願いします』という事になったのですけど。その際に、息子が乗っていたバイクやヘルメット、衣類など全部警察が預かっていたのですが、『こういうのは見るのも嫌でしょう』と聞かれました。そう言われれば、私達もその通りだと思いまして、『じゃあ、私達が責任を持って全部廃棄しておきますから』と、そういう話になりました。その時は警察にまかせて、警察を信用している段階ですから、証拠物件だなんて、私の頭の中には無いのです。今考えればとんでもない話です。事故そのものは何も決まっていない、誰が悪いと分からないうちに物が全部処分され、この書類が来た時には何も証拠は残っていませんでした。その後、いろんな被害者やご遺族に話を聞くと、証拠物件を全部処分したという方は誰もいませんでした。バカな事をしてしまったと、後から後悔しました」

無責の「根拠」

事故から約3ヶ月あまりでこういう通知書が来た時、じゃあ新たに衝突の状況はどうだったかと調べたいと思ったけれど、もう証拠は無かった。また、警察の方でももちろん写真は見せてもらえなかった訳ですね。

ここで、無責という判断は一体何を根拠にされるのか、法律的な部分にふれてみます。自算会とか保険会社に行くと「自賠責保険の請求の手引き」のようなパンフレットがあるのですが、それに載っています。また、自賠法(自動車損害賠償保障法)という法律の中にこの辺の事が書かれています。玉田さんの様に「無責」という判断、これは次の3つの条件を、加害者側が立証した時にはじめて言えるのです。一つめは、「自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと」。これは玉田さんの事故で言うと、バスの運転手が注意を怠らずにちゃんと運転していましたよということ。二つめは、「被害者又は運転者以外の第三者に故意又は過失があったこと」この事故で言うと、息子さんに過失がありましたよということ。三つめは、「自動車に構造上の欠陥又は機能の障害がなかったこと」。つまり、バスに欠陥が無かったということです。この三つのことがらを加害者側が立証した時に、初めて無責といえるわけです。この三つ全部を立証するというのは結構大変だと思いますし、いろんな賠償関係の本を読むと、「自賠責が支払われないということはほとんど無い。非常に厳しい条件を加害者側に突きつけているので、被害者保護の自賠責保険はほとんど例外なく被害者に支払われます」と書かれています。私も専門家の方にこういう事例があると言いましたら、「死亡で無責なんて無いでしょう」と言う言葉が返ってきました。それで「現実に年間800人の方が無責ですよ」と言いますと、自分で数字を調べて「こんなに多かったのですか」と驚かれた事がありました。

「ところで、玉田さんのケースですけど、この三つの条件を加害者側が立証したという事はありましたか」玉田「これを立証、すなわち証拠を示して明らかにするというのは、柳原さんが言われたように大変な事だと思います。傷害事件の場合は被害者が加害者の行為を立証しなくてはなりませんが、自賠法はその逆になります。加害者が自分の正当性を立証しなくてはいけない。非常に難しい話だと思うのですが、保険会社も自算会の方も、これに対する回答は「立証可能」と言うのです。ちょっと不思議な話ですが、「立証する事は出来ないが、立証は可能です」と、そういう話で終わってしまいます。それがどうも納得出来なくて、異議申し立てを4回くらい出しまして、向こうから回答を得ました。その他にも、運輸省に尋ねたり、損保協会という、損害保険会社が協会を作っているのですが、そこにも尋ねたりしました。

今、交通事故の問題で悩んでいる方がいると思いますが、無責問題に関してはやはり3要件を解決して、法律通りに行われる事が大事だと思います。この問題が解決する事によって大きく前進出来るのはないかと思います。今は、損保会社が加害者側の立場に立って、加害者と相談しながらこの3要件を立証するという立場ですが、無責の立証が出来ないということになると、たった1%でも、相手側にも責任があるということになります」

飲酒、ひき逃げでも「無責」という事例

玉田さんだけでは無くて、無責と判断されたご遺族は本当にたくさんいらっしゃるのです。玉田さんと私が連絡を取り合う様になった1997年当時、スクーターで走っていて、後ろから来たワンボックスカーにはねられた秦野真弓さんの事件がありました。そのワンボックスカーは飲酒運転でひき逃げ。そのまま2週間逃げていました。スクーターに乗っていた24歳の真弓さんは加害車のタイヤで頭をひかれて即死でした。この事故、加害者が飲酒していたというのは周りの証言から明らかで、2週間逃げていた事も事実です。でも、玉田さんと同じように、ご遺族に無責通知が来たのです。飲酒、ひき逃げで亡くなったお嬢さんに100%の過失があると判断されたのです。たしかに、事故の中には、本当に目撃者がいて、明らかに被害者がセンターラインをオーバーしていましたとか、被害者が止まっている車に追突して亡くなったとか、赤信号を無視して突っ込んで亡くなったケースもあるでしょう。そういう事故で亡くなった人は、これは残念だけれども、あなたが100%悪いですねと言えると思うのです。例えば防犯カメラにその一部始終が写っていたり、タイヤ痕などで間違いなくこの人はここを飛び出したという事が言える、そういう場合は確かに無責でしょう。しかし飲酒、ひき逃げという悪質な事故なのに100%被害者に過失があるとなぜ言えるのか? みなさんも不思議に思われるでしょう。この事故も無責の3要件の立証というのはされていなくて、「加害者が自分は真っ直ぐに走っていたと証言している、だから被害者が悪い」というのです。ご遺族は保険会社に「飲酒やひき逃げは過失ではないのですか?」と問い合わせました。そうしたら、「飲酒やひき逃げは道路交通法違反だけれど、過失ではない」とはっきり答えが返ってきたそうです。これが損害保険の世界の常識というか、やり方なのです。

玉田さんも「自分の息子は絶対に悪くない」ということでなく、ちゃんと立証をして納得させて欲しい、真実を知りたいと思っておられると思うのですが、立証しようと思った時にはなにもない。警察の勧めもあって、事故から10日後にはもう事故車を処分されていたというわけですね。

科学的な捜査手法

今日も実は、午前中に色々勉強会がありまして、科学的な事故捜査という視点から田中先生に伺いましたが、事故車があれば、元素を特定して相手が車のどこの部分に当たっているのか特定出来るという、そういう手法がもう科学者の世界では当たり前に行われているということです。

「玉田さんは、元素でいろいろな事がわかると言うのを聞いて、どのようなお気持ちでしたか」

玉田「田中先生の話では、事故車が無くてもそのときに撮った写真があるとほとんどがわかるらしいのです。写真からそのメーカーの車のパーツ、ようするに部品を全部調べる事が出来る。そうすると、部品の強度から全部わかるらしいのです。ですから、証拠物件を無くしても、それが無かったら何も出来ないというふうに悲観したものでないということが今回わかりました。私も写真はあるのです。私はその写真が欲しくて欲しくていました。相手方はバス会社ですから事故の時に全部写真を撮っているのです。それを持っているのはわかっているのですが、渡してくれない。ようやく民事訴訟になって初めて、数十枚の写真を弁護士を通して渡してくれました。

そういう状況で、今まではそのものが無いと、つまりヘルメットや衣類にしてもみんな揃ってないと駄目だということを良く言われましたけど、写真さえあれば相手が言っている間違いやウソがわかる。息子がカーブを曲がってきてバスにぶつかった時に、どういう状態でぶつかったのかというのが、その痕跡から全部わかる訳ですね。ですから、私はそれで希望にすごく燃えています」

指摘後、突然減った「無責率」

玉田さんは、今まだ民事裁判が始まったばかりでこれから色々と大変だと思うのですが、ぜひがんばって頂きたいと思います。本当にどうもありがとうございました。いま、死亡事故で無責と判断された玉田さんに事故の事をお話いただきました。玉田さんと知り合って、この問題を取り上げたその後の動きについてさらにお伝えしたいと思います。

この死亡事故で異常に高い無責率の表を見て下さい。玉田さんが自賠責に請求をして無責という通知をもらったのが96年度の話でした。97年5月に私がこの事をベースに、死亡の無責はおかしいのではないかと「週刊朝日」で記事に書きました。そうしたところ、91年から順番に、無責件数835、810,824、769,741,720,こういうふうに700〜800件台で数字が推移してきていたのですが、97年度に突然、亡くなって100%悪いと言われた人が373に減っているのです。97年度の集計結果が出るのが98年の3月、発表されたのが98年の5月か6月。その時に運輸省の記者会見がありました。これが最新のデータということで出た時に、正直言って運輸省とか保険業界の方々も「え、これこんなに減っていいのだろうか?」と、たぶん思われたでしょうが、減った理由に関しては当初、「中央線突破とか信号無視、追突事故が減った」と言ってきたのですが、そんな事はある訳ありません。今見ていただいている表のすぐ上にある、「三大原因死亡事故件数の推移」というのを見て下さい。これは検察庁の交通統計です。96年度、97年度、98年度と見ていきましても、事故自体は半分に減っていませんよね。もちろんこれは、事故が起こった年と自賠責の請求をする年というのは、必ずイコールではありませんから多少のズレはありますけれど、事故のパターンというのはそんなに急激には変わらないものだと思います。

それが突然、亡くなっている人が100%悪いと言われている件数だけが激減してしまったというのです。

「死人に口無し」の証左この数字を見てみなさんどういうふうに思われますか。玉田さんの様に息子さんが100%悪いといわれること...、これは本当にお金の問題ではなく、亡くなった方の名誉に関わる重要なものだと思います。車と衝突したから亡くなったという事実があるのに、被害者が勝手にぶつかったと、根拠も無いのにそういうふうに言われている人が現実にいらっしゃる訳で、玉田さんは96年度に無責といわれた720人中の遺族の中の1人なのです。これが翌年には300件ほどに減ってしまう。非常に意図的というか、私はこの数字を見た時にマスコミでちょっと騒いだくらいで、こんなに査定の基準が変わるのかとすごく憤りを感じました。その後の数字を言ってみたいと思います。表の左側にあります「無責事故の状況(詳細版)」というのをご覧下さい。97年度に373件だった無責件数が98年度には496件、991年度には527件。また徐々に多くはなっていますが、91年あたりの800件台に比べますと、それでも300件くらい減っています。玉田さんの様に96年より前に自賠責に請求をして、非常にグレーゾーンの、どっちとも言えない、また根拠の無い事故でこういうふうな結果を出されているという方が多数おられる...。これこそ、「死人に口無し」が、実際にこの数字の上に現れているのではないかと思います。北海道交通事故被害者の会設立の文章を読ませていただいていると、「死人に口無し」の様な不公平をなくす為にやっていきたいという事が書かれていました。なぜ、こういう事が起こるのかというのを具体的に検証しながら、また、それを管轄している行政に対してきっちりと申し立てていくような活動をがんばっていただきたいと思います。

行政も動く

実は、昨日の夜の勉強会でも玉田さんがお話をして下さいました。すると、その席上に国会議員の秘書の方が来ていまして、早速私に報告して下さったのです。「死亡無責の3条件の問題に関しては、運輸省の方にファックスしておきましたので」というふうに言って下さいました。このことは、いろいろな地域から、被害者の会や個人などいろいろな人が繰り返し繰り返しこの現状を行政の方にアピールしていくべきだと思います。

正直言って私は、「週刊朝日」の連載に「こんな自賠責保険ならいらない」という過激なタイトルをつけた事もあって、当初は非常に運輸省から嫌われていたようですね。東京に「全国交通事故遺族の会」というのがありまして、その会と一緒に一度運輸省の方に陳情に行った事があったのです。そのときに、私もいちおう遺族の会のメンバーになっていたのですが、「こんな自賠責保険なんかいらないという記事を書く記者など入れてはいけない」と言われて、私だけ入れてもらえない...、そういう事もありました。しかし、それはほんの少しの期間だけで、私が別に自賠責を廃止しろと言っている訳じゃないと運輸省の方もわかってくれまして、今では本当に運輸省の方々と連絡を取り合いながら、お互いに情報交換をして、またこういう取材をしておかしいと思った事はすぐに「おかしい」と言う、そういう関係が出来てきました。また、警察庁の方も、私が交通事故捜査の問題について、実況見分調書が非常に非科学的だとか、どの地点で相手を発見し、どの地点でブレーキを踏んだかということが点と点で表されることについて、本当かどうかわからない、非常にあいまいなのではないかという事もよく言います。実際に実況見分の中で不備があって長年苦しんでいる被害者の方をたくさん取材する中で、おかしいというのは言います、書きます。それに対しても、最近は好意的に見て下さる様になりまして、警察庁の方でも交通事故捜査の警察官の能力をアップする為に、交通事故捜査の研修会を行っているのですが、今年からは去年の3倍くらい定員を多くして、そういう警察官をどんどん育成していくような事を実践されるようです。昨年の10月にも、全国の各県警とか道警から選りすぐられた人達が筑波に集まって、そこで衝突実験などいろいろな事をやって、科学的な捜査の勉強会をされたのですが、「柳原さん一度見学して下さい」と警察庁の方から声をかけて頂いて、たぶん紙媒体では私だけだったと思います。警察官の方々が勉強しておられる所に、「これでいいのか交通捜査」というようなタイトルの記事を書いている私を入れて下さって、いろいろな実験風景を撮影させて頂いたり、いい関係がようやく築けているんです。

今の行政は被害者の声を聞き流すとか、はねつけるとか、そういう感じが全然ありません。本当に被害者の声を真摯に受け止めて、それをちゃんと実践していこうとしています。色々とお話を伺うと、気持ちだけではどうにもならない部分もあって、やはり予算が必要だとか、お金が無ければ解決出来ない事、人がいなければ解決出来ない事というのがいっぱいあって、一朝一夕に私たちの望んでいる通りに動かない事が多々あるのですが、でも絶対にそういう地道な活動は無駄にならないと、この頃感じます。

「子どもの命を守る 分離信号」、長谷さんのとりくみ

今東京の方で、非常に素晴らしい取り組みをしていらっしゃるご遺族と知り合いになったので、最後にその方の活動を紹介したいと思います。

「子どもの命を守る 分離信号」という本、これは昨年出版された本です。サブタイトルは「信号はなぜあるの」とあります。長谷智喜さんというお父さんが書かれた本です。

この事故も私は取材をさせて頂きまして、さっき申し上げた「交通事故のウソ」という本の中にも書いています。長谷元喜君という当時11歳の男の子、長谷さんの息子さんです。2歳年下の妹と2人そろって学校に通学していました。いつも通い慣れた道、横断歩道の信号が青になった。仲のいい兄妹は2人並んで、妹が一歩前をお兄ちゃんが後ろを歩いて、青信号で横断歩道を渡っていました。

その次の瞬間、青信号で左折してきたダンプにお兄ちゃんの方がひかれました。即死でした。右左右と見て、手をあげて渡っていても、大きなトラックが後ろから来てしまうのです。右左右と見て渡りましょう。青でも右左見て渡りましょう。子どもたちはそれを守っているのです。でも、後ろは見られません。いきなり背後から大きな車につぶされてしまうという、この現実。普通は、私だってきっとそうだったと思うのですが、なんで子どもが横断歩道を渡っているのに、ダンプの運転手はとまってくれなかったのだろう、まずはそこに怒りがいきますね。ダンプさえちゃんと青信号で子どもを渡り切らせてくれていたら、息子はこんな事故にあわなかった、誰でもそう思いますよね。だけど、このお父さんはその怒りを一歩飛び越えて、こういう怒りをもたれました。どうして人間と車が同じ青信号なのかと。つまり、子どもが青信号で渡っている時に、なぜ車を赤で止めてくれないのだと。そういう疑問です。実は、ダンプにひかれたランドセルをお父さんが開けてみたら、そのランドセルの中から事故の前日に元喜君が作ったなぞなぞのカードが出てきたそうです。そこに、「信号がなぜあるのか。答え。信号が無いと交通事故に遭うから」とあったそうです。お父さんはそのカードを見た時に、声をあげて泣かれました。

信号は交通事故に遭わない為にある、信号を守らないと交通事故に遭う。子どもたちはみんなそういうふうに教わっているし、そういうふうに信じて毎日学校に行っている訳ですよね。運転される方はわかると思います。青信号で右折・左折をする時に、横断歩道を歩いている歩行者がいたら、途中でとまりますよね。つまり、もし横断歩道を歩いている歩行者に気がつかずにビューンとまわったら、こういう事故が起こるのです。

そこでこのお父さんは考えました。分離信号にしてほしい、さっき言ったように歩行者が青の時は車を赤でとめる、つまり、車と歩行者を分離させる、そういう信号パターンに出来ないものかと。せめて通学時間帯だけでもいいじゃないか、そういうふうになぜ変えてくれないのかと思いつかれたのです。

このお父さんは、ものすごく緻密に信号機のパターンを研究され、行政に対する申し入れなどもおこなっておられます。資料の中に丸の書かれた地図があります。長谷さんは、息子さんの事故が起こってから、今まで何気なく左折巻き込みで死亡事故という記事を見ていたが、こういう事故は、実はたくさん発生しているのではないかと思い、目に付く記事はすべて切り抜いて、情報収集されました。そして、事故というのは何月何日にここで起こりましたというだけで、そのままその現場は忘れ去られていくケースが多いのですが、長谷さんは東京近辺の地図に、同じ事故が発生したのを記録し、蓄積していかれたのです。

この地図は、その中の一つ、本当に小さな小さな地域の地図、だいたい半径800メートルくらいの狭い範囲だけを見たものです。それを見た時に、98年の9月から99年の10月にかけて、青信号で横断していた歩行者や自転車という同じパターンの事故が、このたった800メートルの半径の間で3件起こり、そのうちの1件はお母さんと子どもさん、自転車に乗っていた2人が一緒にひかれたのですが、2人とも亡くなっているのです。その10日後に、わずか数100メートルの距離で、青信号左折巻き込み事故で21歳の女性が即死。翌年には、同じバイパスのところで、小学校5年生の子どもが同じ事故で亡くなっているのです。

「構造死」をなくす改革をこういうふうに見ていくと、同じパターンの事故が起こり続けているのではないか、分離信号にさえしていてくれればこの事故は起こらなかったのではないかと、このお父さんは訴え続けているのです。長谷さんは、こういう左折巻き込みの事故の事を「構造死」と言っておられます。構造的に起こる事故だ。人間というのは不注意な生き物で、何かぼーっと考えている時に、何かを見落としたりというのことはあると思うのです。絶対にパーフェクトは無い。では、パーフェクトでは無い人間が少しでもミスを減らす為にはどうしたらいいか、それを考えた時にやはり信号で規制をしてもらって、子どもが歩いている時は車を止めてもらう。スクランブル信号というのがありますね。全方向から歩行者が一斉に渡って、その間、全ての車はとまっている、そのパターンだったら絶対にこんな事故は起こらないのです。息子さんの死を乗り越えて、さらにこういう働きかけをしながら積極的に活動している方もいらっしゃいます。

私はぜひこういう会で、長谷さんの様な取り組み...、それはそれは苦しかったと思いますが、いろいろな地域で実践されようとしていますので、みなさんもぜひ、ご自身の遭われた事故の中で構造的な欠陥、こんなのがあるのではというものを感じられたら、次の被害者を生まないために、警察などに積極的に意見を言って、改革していっていただきたいと思います。

みなさんの会の活動については、ずっと報告を頂ければと思います。本当にがんばって下さい。今日はどうもありがとうございました。

(※ これは5月20日札幌で行われた、「北海道交通事故被害者の会」主催の講演会で、柳原三佳氏の行った   北海道交通事故被害者の会、柳原三佳氏のご了解をいたき掲載させていただいているものです)


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