クルマ社会を問い直す会(代表;杉田聡) 会報17号

書籍紹介  
書評 評者;多田正氏(SE・交通問題著述家)

「子どもの命を守る分離信号 信号はなぜあるの?」
長谷智喜著

生活思想社1800円十税lSBN4−916112−08−3

 長谷氏のお子さん(元喜君・事故当時ll歳)は、歩行者用の青信号に従って横断歩道を渡っていたところを、左折するトラックに轢かれた。運転者の不注意もあるが、人も自動車も青で交錯する信号は「偽の青信号」ではないか。歩行者が横断中は、車がすべて停止する「本物の青信号」を設けないかぎり、いつまでも同じ事故が起こりつづける、という指摘が本の主題である。

 こうした「構造事故」の放置は、交通行政の欠陥であるとして長谷氏は行攻との交渉、写真展や署名、さらに地裁・高裁で訴えを続けたが、1998年8月に、高裁では審理らしい内容もなく訴えは棄却された。長谷氏は、司法による交通行政のチェック機能にはもう期待できないと判断し、新たな展開をめざして活動を再スタートされたが、その第一弾がこの本である。ご自身も日常的に運転し4トントラックの運転経験もあることから、長谷氏は、きわめて説得的に事故の構造的な原因を指摘している。大型車が交差点を右左折する時には、たとえ運転者が意識的に注意していても、歩行者(自転車)が見えにくい。しかも人間は、常に完壁な注意力を維持することはできないから、運転者が見落としてしまうと、もう事故を止める手だてがない。元喜君の事故の場合、運転者が無線通話に興じていて注意がおろそかになったという要因が加わり、その証拠を隠す工作が行われたことも、長谷氏が自ら調査し発見している。しかし悪質な加害者を処罰しても、今後も起こりうる別の人間の過失を、未然に防止する対策にはならない。事故は物理現象なのだから、根本的な対策は物理的対策しかないのである。「隼君事件」も、せっかく社会的な関心を集めながら、不起訴問題に議論が偏り、事故防止に展開する議論が少なかった。検察が加害者の処遇を厳しくしたことは、一見すると被害者に配慮したように見える。しかし一方で「事故はいずれにせよ当事者同士の問題」と強調して交通行政の責任を問う議論が浮上しないように回避した側面も見逃してはならない。

長谷氏は、文献を調べたり、近隣を回って調査した結果をもとに交差点における危険性と安全対策を、きわめて実証的に述べている。そこを、ぜひ実際に本を読んで確かめていただきたい。意外とも思えるのは分離信号がすでに何カ所か実際に設けられ、問題なく運用されていることである。よく行政が抵抗する「先例がない」という制約もないはずである。本書は、ドキュメンタリー風に編集されているが、安全工学の専門書として通用する内容が含まれている。一般市民とともに、専門家・実務家にも広く推奨したい本である。(多田正)

→書店にない場合は生活思想社TEL&FAX:03-5261-5931)


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