毎日新聞 2000年11月4日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会
めーちゃんの橋/1 

ある冬の朝、わずか5分の通学路で・・・
見づらい信号、狭い橋の上を車がかすめて通る
「怖い」交差点 少女は死んだ



 10月14日朝、岸和田市戎町の交差点。「おはようございまーす」と、元気にあいさつしながら歩行者専用橋を渡っていく制服の児童らの横で、会社員、西浦義朗さん(38)=同市八幡町=は、黄色い旗を持って誘導に当たっていた。
 市立大芝小PTAの登校指導。月2回、土曜日に通学路に立つ。
橋には、高さ1メートルの水色の手すりに子どもたちの姿が描かれていて、6メートルほどの川を安全に渡れる。「これが、めーちゃんが残した橋なんや」。西浦さんはそう思うと、少し救われる気がした。
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 めーちゃん。西浦さんの長女、惠ちゃん(当時7歳)=写真=は大芝小1年だった昨年1月14日の登校中にこの交差点で、青信号になるのを待って渡り始めた時、川をわたって右折してきたバキューム車にはねられた。引きずられて、全身を強く打ち、市内の病院に運ばれた。
 「めーちゃんが学校に行く道で車にはねられてけがをした」。西浦さんは職場に向かう車を運転中、携帯電話に連絡を受けた時「すぐに行くわ」とあわてて答えながらも「そんなに大きなけがではないはずや」と自分に言い聞かせた。家から学校までわずか5分の通学路は狭い道が多く、車がスピードを出せるような場所はないはずだった。
 妻の利恵子さん(37)と2人で病院に駆けつけると、めーちゃんは顔に白い布をかけられ、ベッドに横たわっていた。
 「残念ですが……」                    
 思いがけない医師の言葉に、利恵子さんはぼう然とした。西浦さんが先におえつした。
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 「心配していたことが起きた」               
 この事故を聞いて、当時の町内会長、栗脇勝吉さん(55)は思った。交差点には歩行者用の信号機がなかった。自動車用の信号機は高い位置にあって、子どもにはとても見づらい。横断歩道は川に突き当たり、その後は車が行き交う狭い橋の上を歩くことになる。
交通量は多い。以前から「怖い」と思われていた交差点だった。
 数日後の夜、町内会の役員らは集まった。「2度と同じような事故が起きないように、改善を市に訴えよう」。事故の9日後、町内会、小学校、PTAなど17団体が連名で、要望書を岸和田市に提出した。
 2カ月後、原●市長名の「回答」が届いた。「歩行者専用橋を設置し、歩行者用信号機を付けることは検討する」と書かれていた。
 「それからが長かった。行政のやることってそんなもんやけど」。栗脇さんは振り返る。橋ができたのは今年3月。9月になってやっと信号機が付いた。事故から1年8カ月たっていた。
 橋はできた。でも、めーちゃんは帰ってこない。交差点で西浦さんが複雑な思いになったのにはほかにも理由があった。まだ解決されていない問題がある。 【伊地知克介】 (つづく=次回は9日に掲載する予定です)   

【写真】 めーちゃん
【写真】「めーちゃん」の橋が出来るまで、子どもたちは車と一緒に橋を渡って通学していた(点線)=岸和田町で                 

◆記事についてのご意見や、危ない道路と子どもの交通事故についての情報などを手紙(〒530−8

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毎日新聞 2000年11月9日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会 
めーちゃんの橋/2

 「車と人、分ける工夫を」
 

「妹が車にはねられた」。昨年1月14日朝、岸和田市立大芝小の校門に、同小1年、西浦惠ちゃん(当時7歳)の兄が駆け込んできた。同じ小学校の6年生だった。
 校門で登校する児童らに「おはよう」と声をかけていた当時の校長、中曽邦輔さん(62)は、その声を聞き、すぐに校門から約100メートルの現場まで走った。惠ちゃんは路上に倒れていた。ぐったりして、顔色が真っ青だった。
 「助かってくれ」……                   
 駆けつけた救急車に同乗して病院へ。しかし、祈りはかなわなかった。当時、中曽さんは定年まで残り2カ月。38年間の長い教師生活の終わりに、初めて接した児童の交通死だった。
 現場の岸和田市戎町の交差点付近をはじめ、学校周辺の通学路は以前から危ないと感じていた。
 「住宅街の中に交通量の多い狭い道路がいっぱいある。見通しのよくない交差点も多い。何とかしてほしいと思い、市に要望もしていたが……。あの事故は、今でもかえすがえす無念です」    
 事故後、住民らと一緒に、市に交差点の改善を訴えた。今年8月、惠ちゃんの家を訪ねた時、現場に橋ができたのを知った。
 「しかし、交通量の多さなど他にも解決されていない課題がいっぱいある。対策が後手に回っている。通学路にもっと地下道をたくさん作るなど、車と人を分ける工夫をしてもいいのでは」。中曽さんは語る。
 岸和田市教委には、市内の全35小中学校から通学路改善の要望が出ている。信号や横断歩道の設置などの要望が最も多いが、なかなか実現しない。信号設置の要望を毎年出し続けてもかなわず、ついにはあきらめてしまう学校もあるのが、現実なのだ。 【伊地知克介】 

【写真】 めーちゃんの橋を渡って登校する児童ら=後方は大芝小学校

(つづく=次回は14日に掲載予定です)       

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毎日新聞 2000年11月14日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会 
めーちゃんの橋/3 

欠けていた「子どもの視点」


 岸和田市立大芝小1年、西浦惠ちゃんが車にはねられ死亡した事故を聞いた米穀店主、鳥居浩次さん(54)=同市戎町=は、「もっと(道路を)子どもの視点で考えて来ていたら……」と悔やんだ。鳥居さんは町内の商店主や主婦ら約50人で1996年4月に発足した「大芝まちづくり委員会」のメンバーだった。
 大芝小の校区は海に面し、かつて繊維産業で栄えた。しかし、工場は減り、住宅が急増。にわかづくりで緑が少なく、道路事情も良くない。委員会は道路わきに花を植えたり、公園清掃などに取り組んできた。
 お年寄りや障害者が町内を歩く時、何が危険かをあぶり出そうと、アイマスクをしたり、車いすに乗ったりして歩く試みもしたこともある。しかし、「子どもの目から見た交差点」というテーマで話し合ったことは1度もなかった。
 事故の数日後。地区の公民館で、町内会やPTAなどが会合を持った。
 「そういえば、惠ちゃんの亡くなった場所には歩行者用信号がない」                            
 参加者から、現場の交差点について、次々に問題点を指摘する声が出た。そしてまちづくり委員会も加わり、歩行者用信号や歩行者専用橋の取り付けなどを求める運動を始めた。
 「歩行者用信号がつくまでになったのは、みんなの熱意があったから」。西浦さん一家が住む八幡町の当時の町内会長、栗脇勝吉さん(55)は振り返る。運動が始まってから、栗脇さんも30回以上、市役所に足を運んだ。
 鳥居さんは、その後市議になり、議会で通学路の安全問題を取り上げた。
 「学校の近くでは、『子どもの視点に立った思い切ったまちづくり』をしてもいいのではないか」鳥居さんは、めーちゃんの事故の後、そう思うようになったという。 【伊地知克介】     

【写真】 めーちゃんに供えられた花が、通学の子どもたちを見守る               
(つづく=次は17日に掲載予定です)     

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毎日新聞 2000年11月17日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会 
めーちゃんの橋/4 

停止線の位置も車優先

 西浦惠ちゃんがはねられた通学路の交差点(岸和田市戎町)には、歩行者用信号がなかったこと以外にも大きな問題があった。車の停止線が前過ぎて、右折車と歩行者が青信号で同時に動き始めると、歩行者がわずか5メートルの横断歩道を渡り切れない時に車と直面していた。惠ちゃんは青信号で横断してはねられた。大芝地区の町内会やPTAなどは、歩行者用信号機の設置とともに停止線の場所をずらすことも市に要望した。
 今年10月、橋の上にあった停止線は約6メートル後ろに下げられ、右折しようとした車が横断歩道に達するまでに、少なくとも青信号を待っていた歩行者は横断し終えることができるようになった。前の停止線の位置は、車が早く交差点を抜けられるようにした“車優先”の構造だった、といえる。
 また、この交差点は地元から、交通量が多過ぎるとの声が出ている。工場地帯やし尿処理場が近くにあり、トラックや惠ちゃんをはねたバキューム車がひんぱんに通る。事故の後、午前8時半まではバキューム車は別ルートを通るようになった。さらに、処理場へのルートを新設する工事も始まった。来年3月には完成予定で、開通すれば現場の交差点や、通学路の大部分を通らずに済む。
 こうして、交差点は少しずつ改善された。しかし、「改善は点に過ぎず、線になっていない」と、惠ちゃんの父、義朗さんは繰り返し指摘している。橋を渡った後、学校までの市道は狭く、車道と歩道は白線で分けられているだけに過ぎないからだ。
 秋山克憲・大芝小校長は「(現状では)白線をはみ出さずに歩くよう、子どもたちを指導するしかない」と話し、同小は登下校時の様子を撮影したビデオで、具体的に安全な歩き方の指導にも取り組んでいる。
 しかし、安全な歩き方をしていて惠ちゃんは、はねられた――という、根本的な問題は、解決した訳ではないのだ。 【伊地知克介】   

【写真】交差点には改善前の停止線の跡が白く残っている
【図】 停止線図                         
(つづく=次回は21日に掲載予定です)           
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毎日新聞 2000年11月21日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会 
めーちゃんの橋/5 

この街が好きだから

 「ソーリャ、ソーリャ」――。今年の9月、威勢のいい若者の掛け声とともに地車(だんじり)が疾走する岸和田だんじり祭りを、西浦利恵子さんは自宅のそばで眺めた。惠ちゃんの兄である2人の息子が参加していた。2人の姿が、惠ちゃんと手をつないで一緒に走った一昨年の祭りの思い出と二重写しになった。
 「こんなに辛いだんじり祭りは初めてや……」        
 だんじり祭りが大好きだった惠ちゃんは、地車に付いて離れなかった。利恵子さんは1日中手を引いた。登校中に車にはねられて亡くなった昨年、祭りへの参加は見送り、今年は一家にとって2年ぶりの祭りだった。
 亡くなる直前の惠ちゃんの写真には、歯を見せて笑う写真が少ない。前歯が抜けたのを気にして、いつも歯を見せずに笑っていた。
おしゃれが気になり始めた年ごろだった。
 突然の死。利恵子さんも夫の義朗さんも放心状態になった。「祭りだけやない。夏休み、運動会、クリスマス、お正月。行事ごとに、顔が浮かんで……」。事故の後、利恵子さんは一時は引っ越しも考えたという。
 しかし、それは出来なかった。「自分が生まれ育ったこの街が好きやし、地車も好きやし、2人の子どももいる。やっぱりここで頑張りたい。だからこそ、通学路をみんなが安全に歩けるように、まちに変わってもらいたい」                  
 義朗さんは帰宅後、交差点に置いた花に水をやりに行くのを日課にしている。
 「ここで亡くなった娘がいるということを、ドライバーたちに知ってほしい。この通学路の交差点から交通量が減るまで続けたい」 2人は、娘の命が奪われた事故の原因を自分たちなりに分析し「多くの大型車が通学路を通学時間帯に走行している現状が問題」と町内会などを通じて訴え続けている。 【伊地知克介】     

【写真】 地車を引く恵ちゃんの手を引く利恵子さん。1年に1度この日を恵ちゃんは楽しみにしていた=1997年9月

(つづく。次回は26日掲載予定です)            
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毎日新聞 2000年11月26日 大阪 

[やさしい街に]子どもとクルマ社会 
めーちゃんの橋/6

「子どもと一緒に歩いてみて」

 「娘が死んだのが通学路だったことが何よりも悔しい。朝、元気に家を出た数分後に、無残な姿になるなんて……。こんなつらい思いは、他のどの親にもさせたくありません」          
 岸和田市立大芝小1年だった長女・惠ちゃんを亡くした母、利恵子さんは、声を絞り出すように訴えた。
 事故後、地元の訴えで歩行者用の信号機や橋ができ、車の一時停止線の位置も修正された。しかし、これで十分でないことは、岸和田市道路交通課の増田芳弘課長も認める。
 「人と車を完全に分離することはできない。子どもへの安全指導は、以前は『青信号で渡るように』と言っていたが、『青信号でも気をつけなさい』と言わざるを得ないのが実態です。ドライバーに、もっと子どもやお年寄りに配慮した運転をしてもらうことが、最も重要だと思います」                    
 毎日新聞社には、「めーちゃんの橋」の連載に多くの反響が寄せられた。吹田市千里山竹園、主婦、高井孝子さん(41)からのメールには「人ごととは思えません。わが子の通学路も記事に書かれたような道で、住宅街の中なのに交通量が多く、車道を人間が歩いている感じです。いくら子どもに『気をつけて』と言っても車が子どもに当たってきたらどうしようもありません」とあった。
 「『通学路を、一度、子どもと一緒に歩いてみて』と言いたい。
子どもの視点で見れば、危険な場所が見えてくるはず。そして、そんな場所を一つでも改善すれば、少しでも安全になるのだから」。
惠ちゃんの両親は訴える。
 記者は改めて、交差点に立ってみた。事故後、歩行者のために架けられた橋の上を、笑いながら子どもたちが通学していた。「車には気を付けてね」――。めーちゃん(惠ちゃん)の声が聞こえた気がした。 【伊地知克介】(「めーちゃんの橋」は終わります。次のシリーズは12月2日から掲載予定です)    

【写真】 「めーちゃんの橋」には電車ごっこをして遊ぶ子どものレリーフが=岸和田町     
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