第4回被害者支援フォーラム

1999.10.15 グランドアーク半蔵門

 第四回被害者支援フォーラム、主催は、犯罪被害者支援ネットワーク、後援が警視庁、交通安全協会とういうだけあって、アメリカから「犯罪被害の会」をパネリストを招いて開催された国際会議でした。会場はグランドアーク半蔵門。参加は、多くのマスコミの方々をまじえ300人くらい。

 当日、少し遅れて会場に入ったため、午後の部の被害者の声という所でお話をさせて頂きました。発言の概略は、交通事故被害者の支援についてですが、被害者の心とともに理不尽な事故後の処遇を述べ、被害者として求める4項目の要望を訴えてまいりました。

1、被害者が事実を知る制度=事故調書の被害者・遺族への開示

2、重大事故における罪に応じた加害者への量刑の見直し

3、加害状況に応じた、加害者一部負担の制度(損害賠償の加害者一部負担)

4、被害者、加害者の発生しにくい安全対策への真摯な取り組み分離信号問題
 (草加市の連続左折事故を例に当該交差点をスクランブル信号への改善する等、交通シス  テムの見直しを提唱)

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(以下発言、テープおこし)

【司会者】

 最後に長谷さんにお願いいたします。長谷さんは、全国交通事故遺族の会に属していらっしゃいまして、ご自身でも「歩行者事故防止研究会」を作られまして分離信号という本を出版なさって歩行者事故をいかに防ぐかという活動をされております。では、長谷さんよろしくおねがいいたします。

 
【長谷】

 私は八王子の長谷と申します。子どもは左折事故で7年前に亡くなっております。そんな関係から遺族になりましたけれども、私は、交通事故被害者への支援は、心のケアーと被害者の権利確立が最も大切なものと考えております。(損害賠償は被害者の求める権利の一部です)しかし、現在被害者のおかれている立場は、どうでしょう。行政は、被害者の置かれている実状を十分把握する必要があるのではないのでしょうか。

 まず私たち被害者が最初に直面するのは、被害者の人権がおざなりにされた事故処理の世界です。すべての被害者が「いったいなんなんだ!この世界は!?」と感じる処遇。それに憤り、涙するといっても過言ではありません。なにしろ事故が起きてもなもに教えてもらえないのですから。そんな中で下される加害者への判決は、私の例で、重くても子どもが殺されて10月の刑。それも加害者がおとなしく服役さえしていれば半分の刑期で出てきてしまうんですよね。あまりにも軽い。こういったものは、今後十分なおしていって頂かなければならないんですが・・

 被害者の心についてちょとお話いたします。

 私は子どもが殺されたとき何を思ったか?まず「犬」になりたいと思いました。なんで「犬」になりたいのか。人間だからこんなつらい思いをするんだ。子どもを奪われたとき、人間だから僕はこんなつらい思いをするんだ。そう思ったとき「犬」になりたいと思いました。でも「犬」になれませんでした。

 つぎに何をおもったかというと子どものもとに行きたいと思いました。でも行けませんでした。それはなぜかというと、子どもを失って自分は遺された。その遺された痛みを痛切に感じたからです。だから、もし私が子どものもとに行ったら、まだ残っている家族、それがもっとつらい思いをする。そう思ったから行かれなかったのです。

 こういうような被害者の痛み、こういったものはなかなか理解出来ないものだと思うのです。ですから行政というのは、被害者が出てこない、出来ないようなシステム作り。また被害者が発生したときには、それを正面からフォローする制度を作って行かねばならないと思います。

 「肉親を奪われた痛み」というのは、先ほど申し上げましたように一次被害ですね。これはなかなか理解できない。二番目によくお話が出てくるのが二次被害。これは、周囲の人がそのことが分からなくていろいろ何かいってしまう、ということなのですけれどもその中で「行政自身が行っているもの」というのもあります。さっき私が申し上げたように「なんなんだ、この世界は!」という憤り、これは行政自身がつくっているものです。さきほど警察の方からのお話がありまして「前の方へ向いてきた」「前向きの姿勢になってきた」と思います。しかし、姿勢だけが前を向いたってダメなんです。中をちゃんとしていただきたい。そういったことで、私はここで4点の事をお願いしたいと思います。

一、まず被害者が事故に遭ったあと、被害者が事実を知る制度を作ってもらいたい。それは、事故調書があまりにもいいかげんなことが多いからです。ですからそれを見せてもらいたい。見せられるような制度を考えてもらいたい。いま、法律がどうのこうのといっているけれどもそうじゃないでしょ。法律というのは国民のため、私たちのためにあるものですから、私たちが利用しやすいものに変えてもらいたい。正確な調書を作っていただきたいということですね。ようするに。

二、重大事故に於ける罪に応じた量刑の見直しをしてもらいたい。あまりにも事務的にどんどんかたずけていく。私の場合は子どもを殺されて10月といいましたけれども、中にはたった30万円で涙をのまなければならない遺族もいるんです。黙っていれば不起訴。そういったケースはいっぱいあります。これはちょっとおかしい!

三、加害状況に応じた(損害賠償における)加害者の一部負担をしてもらいたい。これは損害賠償の話しです。私たちがいくら闘ってもでてくるのは、ただの保険会社の作った算定書なのです。いったい自分の子どもをこんな目にあわせたのはだれなんだ。そのだれなんだといっても、加害者はどこかでポーっと遊んでいるのです。これを横目に見る悔しさ、悲しさ、みじめさといったものは被害者でなければ分からないと思います。自分の車をどこかにぶつけますよね。そうすると当然免責というのがありますよね。ああいうようなことであまりにも逸脱した行為を犯した交通事故、これはもう犯罪です。そういったものには、少し免責をもとめるような取り組みをしてもらいたい。

四、それともう一つ、これが一番大事なことなのですが、被害者というのはできればいない方がいい。交通事故においては、交通事故がなければいい。(行政が)ほんとうにそういって取り組んでいるのかな?と私は思う時があります。

ーA4版 草加市、直近連続左折事故地図を掲ながらー

 ここに一枚の紙があるのですけれども、皆様から見るとこれは単なる点にしか見えないと思います。小さい紙ですね、でもこの中には4人のなんの罪もない人たちが死んでいます。この赤い○がもしかしたら見えるかもしれません。この赤い○の間は、約1kmくらいです。ほんとに地図上でいえば「点」です。点と言えばどこで起こるか分からない交通事故の中の点なんですから、何か策を練ろうとすれば出来るはずです。

ー地図の赤○を示しー

 これは、去年の9月十九日草加市草加で母子が自転車に乗っていて左折事故で亡くなりました。その後、10日後に隣の隣りの交差点です。約850m違います。9月29日に21才の女性が亡くなっております。これも左折事故です。そんな話を聞いた矢先、10月2日、これは今年です。小学校のお子さんがやはり左折でなくなっています。青信号を渡る子どもというのは危険な交通環境の中で自分の命を守ろうと思ってその聖域をあるくのです。それが無造作に殺されていく・・。この状況をなにも指をもまねいて見ていて、被害者のケアーとかなんとか言っても私たち被害者は納得はしない!

 ちょっと口調がきつくなりましたけれども、そういったことです

 けっして被害者を作らないという、そういうシステム。私は、これだけ危険な交差点で、たてつづけに事故が起こるのならば、もうスクランブルにしたっていいんじゃないのか。そう思います。そういったことはやろうと思えばできる。子どもたちの命を守ってあげようという心さえあれば出来ることなのです。

 ちょっと被害者のケアーからはずれましたけれども被害者としてのお話をさせていただきました。
 ありがとうございました。

会場より 拍手

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「分離信号」導入は、絶対交通弱者である子どもたちの命を守ろうとする正論です。私の話に司会者やパネリストの方からは、「被害者を発生させない被害者支援という考え方は、大切な考え方である」と言うご評価を頂きました。

今後も「分離信号」は、被害者の人権を無視した事故処理の世界やゆがんだ行政の施策の是正とともに、おかしいものはおかしい、是正すべきものは是正すべきであると訴えつづけて行きたいと思います。


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