青信号渡ったのに小5の息子が交通死 7年前に小学5年生の息子を交通事故で失い、安全な信号機の設置を訴えてきた東京都八王子市の病院職員、長谷智喜さん(45)が近く、活動の記録をまとめた「分離信号機−信号はなぜあるの」(仮題)を出版する。信号を守っても子供が事故に遭うクルマ社会の危うさを浮き彫りにしている。春の全国交通安全運動が20日まで行われているが、長谷さんは「子供の命を守るため、何が本当に必要な交通安全対策なのかを分かってもらいたい」と訴えている。 車社会の危うさ 父が奮闘記出版 八王子 長谷さんの長男元喜君(当時11歳)は1992年11月、登校途中に横断歩道を青信号で渡っていて、同じ方向から左折してきたダンプカーにひかれて死亡した。長谷さんは「青信号で子供を守るのはクルマ社会のルール」と、歩行者の横断中は車側の信号がすべて赤になる押しボタン式「分離信号機」の通学路などへの設置を求める署名運動を展開。しかし、都や警視庁が交通渋滞などを理由に改善に応じなかったため、95年「息子のような儀牲者をなくしたい」と、都などを相手に信号機の管理責任などを問う訴訟に踏み切った。 昨年8月の東京高裁判決でも長谷さんの訴えは実らなかったが「活動の記録をぜひ本にまとめて」と支援者らに勧められ、出版を決意した。事故の状況や両親が取り組んだ交差点危険度調査、裁判記録などを記したほか、同じような青信号の右・左折事故で亡くなった全国の児童4人の母親が手記を寄せた。このうち千葉県市川市の主婦、藤本智子さん(38)の長女麻奈未ちゃん(当時7歳は、94年4月、友達の家へ遊びに行く途中、青信号で横断歩道を渡っていて、安全確認をせずに左折したタンクローリー車にひかれ死亡した。加害者は罰金30万円で罪を償った。智子さんは「子供が安心して青信号を渡れるよう、一日も早く改善すべきだ」と話している。 7月に出版予定。副題の「信号はなぜあるの」は、事故現場にあったランドセルの中から出てきたカードに元喜君がかいていたもので、裏には「信号がないと交通事故にあうから」(原文)と書かれていた。長谷さんは「本が良い意味で一文通安全の教科書になれば」と話している。 【江刺正嘉】 報道記事目次へ M-53 毎日新聞 関西版 1999.5 車すべて止める信号を 7年前に小学校5年の息子を交通事故で失い、安全な信号機の設置を訴えてきた東京都八王子市の病院職員、長谷智喜さん(45)が近く、活動の記録をまとめた「分離信号機−−信号はなぜあるの」(仮題)を出版する。長谷さんと同じように、子どもが青信号で横断歩道を渡っていて右左折車に命を奪われた大阪などの4人の母親の手記も掲載、信号を守っても子どもが事故に遭うクルマ社会の現状を浮かび上がらせている。 長谷さんの長男元喜君(当時11歳)は1992年11月、登校途中に横断歩道を渡っていて、左折してきたダンプカーにひかれて死亡した。信号はどちらも青だった。長谷さんは、歩行者の横断中は車側の信号がすべて赤になる押しボタン式「分離信号機」の通学路などへの設置を求める署名運動を展開。しかし、東京都や警視庁が交通渋滞などを理由に応じなかったため、95年、都などを相手に信号機の管理責任などを問う訴訟に踏みきった。 昨年8月の東京高裁判決でも長谷さんの訴えは実らなかったが、支援者に勧められ、出版を決意。事故の状況や、両親が独自に取り組んだ交差点の危険度調査、裁判の記録などを掲載する。手記を寄せた一人、大阪府堺市の松本良美さん(35)は昨年1月、一人っ子の裕人君(当時6歳)を亡くした。 青信号の横断歩道を一緒に、別々の自転車で渡っていて、右折してきたバスにひかれたのだ。良美さんはいまだに横断歩道の前で足がすくんでしまうという。「本名で手記を書くことにためらいはあったが、一人でも多くの人に、クルマ中心の社会の矛盾を知ってほしかった。警察や行政は『信号を守ろう』と言うだけでなく子どもたちが安全に横断できる道路をつくり、十分な捜査をしてほしい」と訴えている。7月に出版予定。副題の「信号はなぜあるの」は、ランドセルの中から出てきたカードに元喜君が書いていたもので、裏には「信号がないと交通事こにあうから」(原文)と書かれていた。 写真 報道記事目次へ M54 行徳新聞(毎週金曜日発行) 平成11年6月11日(金) 読者の手紙より 五月二十八日(金〉、読者の方からFAXが届いた。「今回、FAXしましたのは、七月に出版予定の本、『分離信号』(仮題〉について貴紙に載せていただけないものかと思ったからです。この本は歩行者信号青表示に従って横断歩道を渡っていた子どもたちが尊い命を失ってしまい、今の二現示信号に対しての疑問を問うものです。私ごとではありますが、我が家の大切な長女も、五年前に左折のタンクローリーにひき殺されました。今回、この本の中に私の作文も載っております。 交通安全に気をつけてという記事を見て、一度、被害者の遺族からの言葉や提言も取り上げていただけないものでしょか。よろしくお願い申し上げます」 −行徳在住の藤本智子さんからの手紙に、話を伺いに行った。 五年前の四月四日…新浜通りの交差点で、歩行者信号青表示の横断歩道を横断していた藤本麻奈未さん(当時7歳9カ月)が亡くなった。「娘の〃飛び出し〃に因るものと言われましたが、信号は青でした。交通事故ではなく、これは交通犯罪です。警察の現場検証などの調書を取り寄せてみて、思いは強くなりました」「娘は皆に横断歩道の渡り方を注意するほど用心深い性格で友だちが交通事故に遭って以来より注意していました。〃子どもイコール飛び出し〃という原因の決めつけに腹が立ってやりきれませんでした」と彼女は言う。 「せめてあの信号が分離信号機だったらと思います。歩行者が青で渡るときに、車の信号が赤であれば…。青は安全だから進めの色。子どもたちがそれを守って、なぜ犠牲にならなくてはいけないのでしょうか」こんな〃交通犯罪〃を、これ以上増やさないでほしい…の思いで、彼女が手記を寄せたのが、この『分離信号』だ。八王子在住の長谷智喜さんを中心に、同じ〃事故〃で犠牲になった子どもたちの遺族の手記が寄せられている。 「小さいころから、青信号は安全だと信じていました。そのころより、車はとても増えています。今の信号でいいんでしようか。交通事故が根絶することはないと思いますが、行政や学校の交通安全教室で教わった通りに、信号を渡っている子どもたちの命ぐらい守ってくれる信号を作ってください…。それを願います」 【写真】 彼女の思い…「分離信号」の草稿 報道記事目次へ NHK首都圏ネットワーク 特集 横浜放送局 三田左弥佳記者 ◆NHKナレーター 「埼玉北川辺町」分離信号にして効果を上げているところがあります。 埼玉県では12の交差点に分離信号をとりいれました。安全にわたれるようにと住民たちから強い要望があったからです。ここは押しボタン式の分離信号に変わりました。改善されるまでは危険だとして遠回りをして学校に通っていました。 分離信号に改善された交差点について通学の小学児童にたずねる。 ◆NHKナレーター、「まえはここをよく使っていましたか?」 □ 小学児童 「使っていなかった」 ◆NHKナレーター 「どうしてつかわなかったの?」 □ 小学児童 「危険だから使わなかったの」 □ 加須警察署 熊谷清美 交通課長 「自動車にとっては少し渋滞がふえるかな我慢してもらおうかな、と踏み切った訳なのですが、まあ歩行者の安全をはかるためには、この方式しかないと・・・」 ◆NHKナレーター 心配されていた車の渋滞も、右折や左折がスムーズになり逆に緩和されるという思わぬ効果もうまれました。 □ 専門家の意見 工藤弁護士(交通行政市民オンブズマン) 「歩行者の信号が青の時に自動車も青で交差点に入ってくるという信号がほとんどの交差点につけられていますね。そういう信号があたりまえのようになっていますが、このての信号というのは弱者である歩行者からするとかなり危険が多い。」 「そうした当たり前の状況を見直していくというのが大事なことではないかと思っています。」 ◆NHK三田記者 ー取材を通しての感想ー 報道記事目次へ
分離信号導入して 青信号で交差点を渡っていた長男がダンプカーにひかれて亡くなった事故をきっかけに、歩行者用信号が青の間はすべての車両用信号を赤にする「分離信号」の導入を訴え続けてきた八王子市上川町の病院職員、長谷智喜さん(46)が、七年間におよぶ活動をまとめた「子どもの命を守る分離信号ー信号はなぜあるの?」を出版した。長谷さんは裁判や独自の研究、調査を通じて、現行の交通行政の問題点を問い掛けている。 活動記録を出版 交差点の危険性を検証 長谷さんの長男、元喜君(当時十一歳)が事故に遭ったのは、一九九二年十一月。登校中、T字型の交差点を横断中、後ろから左折してきたダンプカーにひかれた。「なぜ、青信号に従った子供が犠牲にならねばならないのか」「歩行者と車両が交錯しながら通行する信号では、事故はなくならない」。そんな憤りや疑問から、押しボタン式の分離信号の導入を訴える写真展や二万人を超える 完成した本はB6判、六章構成で三百三十八ページ。元喜君の事故の経緯を再現した上で、同様の事故で亡くなった子供たちの実際の事故処理で、「加害者のみの言い分で調書が作成されている」と捜査の問題点を指摘した。独自の交通量調査などに基づいて様々な型の交差点の危険性を検証し、ドライバーの注意力に頼る現行の信号の欠陥を訴えた。「時にはあきらめの気持ちが頭をもたげる時もあったが、元喜に『お父さん、危険な交差点を渡らなきゃならない子供たちを助けてよ』と言われているような気がして、運動を続けてきた」。長谷さんはそう振り返る。次の目標は、分離信号をテーマにしたホームページを開設することだ。定価千八百円。間い合わせは生活思想社(03-5261-5931)へ 【写真】本を手に「車優先の現在の交通環境をもう一度見直してほしい」と話す長谷さん 報道記事目次へ M57 1999年(平成11年)8月11日(水曜日)朝日新聞 多摩版 歩行者と車用の信号 同時に青・・・長男 事故死 八王子市の夫婦が、長男の事故死をきっかけに、車両用信号と歩行者用信号を同時に「青」にしない「分離信号」の設置拡大を求めている。交差点の危険性を独自に検証し、これまでの活動を紹介した本「子どもの命を守る分離信号」を出版した。息子の死の意味を間い続けてきた夫婦は、繰り返し訴える。「信号を改善するだけで子どもの命が救える」と。 八王子の長谷さん夫妻 交差点の安全性訴え 一九九二年十一月。小学校への通学路を、妹と一緒に歩いていた八王子市上川町の長谷元喜君(当時11)は、自宅から八百メートルの「上川橋交差点」で、左折するダンプカーに巻き込まれて即死した。横断歩道の信号は青。ダンプカーからみた車両用の信号も青だった=図。 病院に務める父親の長谷智喜さん(四六)と妻かつえさん(四六)は、青信号で横断していた息子の事故死に対し、警察が結論づけた「ダンプ運転手の不注意」との判断に、疑問を感じた。仕事の合間、現場の交差点で通行量を調査したのを手始めに、過去に事故があった別の交差点でも、車と人の通行を調べ、信号の運用方法を交差点ごとに実地で分析した。長谷さん夫婦は様々な事故例から、同じ方向から進む車両と、歩行者の信号が同時に青になる「非分離信号」には、危険性が大きいとの結論を得た。スクランブル交差点に多く採用されているような、車を全部止め、歩行者を横断させる分離信号を導入すべきだ。 本では夫婦が集めた事故例やデータを、豊富な図表で紹介している。自分たちの体験や同じ悲劇を経験した被害者の遺族の証言から、「生きている加害者の言い分に偏りがちだ」と、警察の交通事故処理のあり方にも疑問を投げかけている。元喜君の死から七年。上川橋交差点の信号は当時のまま運用されている。長谷さんは、晴れない表情で言った。「渋滞の原因になるからと、行政は分離信号の拡大をためらう。だが、人の命を守ることより大事なことがあるんだろうか。悲劇を繰り返さないために息子達の死を無駄にしないでほしい」 本の問い合わせは出版元の「生活思想社」(03-5261-5931)へ 「この7年間、信号のことばかり考えてきた」と、元喜君の霊前に出版した本をささげる長谷智喜さん=八王子市の自宅で 報道記事目次へ M58 北海道新聞 1999年8月13日 朝刊一面 卓上四季 毛布の掛かった「物体」が現場に着いた長谷智喜さんの目に真っ先に飛び込んできた。すこし前、ランドセルを背に、勢い良く飛び出していった長男、元喜君(11)の、それが変わり果てた姿だった ▼事故は七年前の十一月、東京・八王子市郊外の通学路で起きた。自宅から目と鼻の先、息子は青信号で横断歩道を渡っていたときT字型交差点で突き当たって、左折したダンプにはねられた。病院事務員の長谷さんは状況をくわしく知りたいと思った ▼各種証言から青信号だったこと、ダンプがウインカーを出さずに曲がったことを突き止める。青信号で渡ったのに、なんで息子は殺されなければならなかったのか。これでは短銃に一発込めた弾で人が死ぬ、ロシアンルーレットのようなものではないか。 ▼注意だけで事故は防げない。むしろ同じ信号で、右左折する車と人が交差するシステムに構造的な原因がありそうだ。スクランブル交差点のように、人だけ青で渡れる「分離信号」を押しボタン式にすれば息子の事故は起こりようがない。長谷さんはあちこち交差点を調べ、トラックに乗って考えた末、この結論に達した ▼警察に二万人の署名とともに要望書を出したが、ラチがあかない。仕方なく八王子地裁に東京都を訴えた。結果は請求棄却。控訴した東京高裁でも言い分は認めてもらえなかった。 ▼長谷さんは一部始終を「分離信号」の題で生活思想社から本にまとめた。 親の心を分かろうとしない行政と司法。悲惨な事故は、まだ続く。 報道記事目次へ M60 日本テレビ 特捜オンブズマンテープおこし 特捜オンブズマン行政に疑問をぶつける! ■ 警視庁交通部 干場祐孝 管理者の答弁 「人と車を分離するということは、合理的なように見えるが結果的に 信号を待つ時間が長くなるという非合理な部分が表に出てくる 非合理な部分が出てくる炉信号無視とか渋滞という形で非合理な部分 が表に出てきます。」 特捜オンブズマン市民の声を聞く! 分離信号をどう思いますか? ○人々の声A 車両運転手 (分離信号は)込んでいるときはべんりですね、あきらめがつく。 ○人々の声B 車両運転手 歩行者と車は本来的に区分されていないといけないね〜。 そういうことがなにもおこなわれていないから道路の行政がめちゃくちゃだ! ○人々の声B 専門家 交通行政オンブズマン 工藤昇弁護士 分離しないことによって事故の確率がは上がるのだから渋滞緩和を優先にして事故の確率が増えてもしょうがないという発想である行政の姿勢としては大変問題だろうと思います。 ■ 警視庁交通部 干場祐孝 管理者 分離した方が妥当だと判断されれば改造します。ただしこれは分離することによってむしろ歩行者、車両の方に不合理なことあるいは利便性 を欠くことがあればやらない方がよいと思っております。 報道記事目次へ M61 聖教新聞 11.9.8 書評 M62 公明新聞 11.9.8 書評 Topics 話題 子どもの命を守る分離信号 長谷智喜著 青信号で横断歩道を渡っていた時、左折(または右折)してきた車に身の危険を感じた、という経験は誰にもあるだろう。もし、運転手が脇見してたり、何かに注意を奪われていたら一一そう考えると慄然とする。 本書は、7年前、青信号横断中の小学5年の息子を左折してきたダンプにはねられた父親(八王子市在住)が、我が子の死をきっかけに、現在の交通行政に疑問を感じ、同様の事故を調査。歩行者と車両を同時に交差点に進入させない「分離信号」設置の必要性を訴えたものである。 青信号は決して安全なものとはいえない。人間の注意力は不確実なものである。歩行者がいかに交通ルールを守っていても、向かってくる鉄のかたまりから身をふせぐすべはない。現在の信号システムの恐ろしさに気づいた著者は、文献をあさり、また各交差点の通行量や歩行者の数、大型車の殺傷力や死角を調査。類似事故の比率を確かめた。やがて分離信号の必要性を訴えた写真展を開催。多くの賛同・共感の声を得て、分離信号設置の要望書を警察に提出。だが回答は「分離信号は交通ルールになじまない」。スクランブル交差点をはじめ、分離信号はあちこちに存在しているのに。 ついに著者は東京都を提訴。地裁・高裁とも「必要性なし」と棄却した。あたかも人命より交通の効率を重視するような結果に、著者は、交通事故死は「構造死lと批判。今も運動を続け、仲間や理解者の輪を広げる。その仲間の働きから、今年、船橋市議会での分離信号設置促進可決という成果も生まれた。草の根の運動で安全な社会をつくろうという息吹に満ちた書だ。(信) ●生活思想社1800円 報道記事目次へ 子どもの命を守る分離信号 通学路の横断歩道を青信号で渡っていた小学校五年生の息子が、ウインカーを出さずに左折してきたダンプにひかれて即死した。 報道記事目次へ M65 アサヒタウンズ 1999年10月2日 土曜日 BOOK 書評 長谷智喜・著 『子どもの命を守る分離信号』 生活思想社・刊本体一八OO円 七年前、青信号の横断歩道上で左折ダンプによって、当時小学五年の長男を奪われた長谷智喜さん(47=八王子市上川町)が著者。長谷さんは息子の死を契機に、信号機のシステムに疑問をもち、歩行者が青信号で渡っているときには、車が侵入できない「分離信号」の設置を求めて、行政と闘い、社会へのアピールを続けてきた。その七年間の闘いを一冊に凝縮した。「信号機を改善するだけで、確実に子どもたちの命が救える、長谷さんの執念ともいうべき思いが、痛切に伝わる。長谷さんは、息子の一交通事故死を「構造死」ととらえている。人間の注意力は不完全なもの。青信号であっても、人と車を無造作に交差させる現在の信号機システムをそのままにしておく限り、息子と同じ悲劇は必ず起こる。行政側も、信号機の危険性を承知しているはずなのに、事故防止策に真剣に取り組もうとしない。なぜ行政は、青信号を渡る子どもたちを見殺しにするのか…。 わが子の犠牲 信号機改善を 長谷さんは、妻のかつえさんと「歩行者事故防止研究会」を作り、多摩地域を中心にいろいろな交差点を調査、危険な交差点では歩行者横断中は、車の流れを赤信号ですべてストップさせる「分離信号」を提唱し続けてきた。「青信号事故から子どもを守るのは、息子を襲った凄惨な現実から目をそらさず、正面から事故を見つめ直すことだと思った」 八王子警察署への要望書、警視庁の担当者との面談、二万人をこえる署名とともに提出した再度の要望書も、手応えなし。信号機を管理する東京都の責任を求め、地裁八王子支部、東京高裁への訴えもすべて棄却された。 いくつもの大きな壁に阻まれながらも、長谷さんの分離信号運動は、いま社会問題として認知されつつある。今までの車優先の道路行政に疑問を持つ人、NOという人たちか着実に増えてきた。船橋市議会では、今年六月「通学路の交差点のスクランブル化促進」の陳情が可決された。「たくさんの人にこの運動は支えられてきた。運動の灯をともし続けることが私のできること」と長谷さん。分離信号のホームページを十二月には開く予定だ。四六判三百五十ページ 03-5261-5931生活思想社。八王子駅北口のくまざわ書店、石森書店楢原店、四谷店で取り扱い中。 報道記事目次へ
「待ち時間」長くなるが・・・ 【写真1】 八王子市 元本郷交番前交差点 「分離信号」は、全く普及していないわけではない。その代表例は歩行者が斜めにも横断できるスクランブル交差点だ。 一般的な信号は、車両用が青になると同方向の歩行者用信号も連動して青になり、右左折の車両が人と交錯する場面が生じる。これに対して分離信号は、歩行者信号が青の時は、車両用信号はすべて赤で、人と車の交錯をなくそうというもの。安全性が高まる反面、信号の待ち時間は車両、歩行者とも長くなる。 警察庁によると、スクラン分離信号という特別な「施設」はなく、あくまで信号の点滅をどう運用するかという問題だという。だから「全国で何か所あるか把握していない。運用については、各地域でその道路の事情を判断して行ってもらっている」という。 分離信号にするかどうかは、都道府県の警察の判断になるが、「分離信号を増やさないという方針はない。ただし、分離式にすることでかえって交通の流れを妨げ、事故を誘発しかねない場所もあり、安全も含め総合的な視点から判断している」(警視庁)など、慎重なところが多い。 それでも、事故防止の観点から分離信号を取り入れる交差点が、各地で少しずつ増えている。埼玉県警では数年前から、徐々に分離信号を増やしてきた。「歩行者の死亡事故の有効な対策」が理由だ。昨年9月には県内10か所の交差点を一気に分離信号化、スクランブル交差点も含めて県内41か所の交差点が分離信号となった。このうち同県北川辺町の丁字路交差点は、地元住民の要望が実現した例。通学時間帯に約250人の中高校生が利用しており、右左折の車に巻込まれそうになり、ひやっとすることもあったという。分離式になったのを機に、小学生の通学路にもなった。同県警では、「待ち時間が長くなっても、右左折が歩行者に遮られなくなり、車の流れはかえってスムーズになっている」と、「分離」の効果を説明する。 歩行者の安全を優先する交通実現の提言を続ける「クルマ社会を問いなおす会」の代表、杉田聡・帯広畜産大教授は「横断歩道での事故が何回も繰り返し起きているということは、道路や交差点の安全性自体に問題があるということだ。人間の注意力や良心に頼り過ぎた現在の交通システムを抜本的に見直す時期に来ている」と話している。 報道記事目次へ
事故防止に「分離信号」 【写真2】「なぜ青信号で、という思いが今も消えません」という長谷智喜さんとかつえさん 青信号の横断歩道で歩行者が右左折の車両に巻込まれ、犠牲となる事故が後を絶たない。左折ダンプの事故で長男を失った両親が裁判や本の出版を通して、歩行者の横断時に交差点の車両をすべて停止させる「分離信号」の導入を訴えている。歩行者を守る立場から信号のあり方を見直そうという問題提起で、同様の動きが各地で活発になっている。(林栄太郎) 左折ダンプにひかれ 東京・八王子市横山町の丁字路交差点。車用の信号がすべて赤になり、車が停止した。少し間があって3か所の横断歩道の信号が全部青に変わった。「あの交差点が、ここと同じ分離式の信号機だったら、きっとあの事故はなかった」右左折の車にせき立てられることもなく道路を渡る歩行者見ながら、同市に住む病院職員長谷智喜さん(46)は残念そうに話した。 7年前、小学校5年生だった長谷さんの長男元喜君は通学途中の丁字路で青信号の横断歩道を渡っていて、後ろから左折してきたダンプカーにひかれ、亡くなった。運転手も青信号で入ったが、元喜ちゃんを見落としたという。「運転手の過失ということで事故は処理されたけれど、どうにも納得できなくて」と、長谷さんと妻のかつえさん(46)。 二人は交通事故に関する本や新聞記事を読みあさり、元喜君と同じような事故が少なくないことを知った。遺族を訪れて話を聞いたり、事故現場で、交通量や車と人の動きなどを調べたりした。通常の交差点では、青信号で歩行者が渡っている横断歩道を、左折車や右折車が一時停止もしないで突っ切っていく場面が目についた。歩行者は青信号でも、曲がって来る車に気が抜けない。幼い子供は、青信号で車が右左折する動きをなかなか理解できないようで、左右への注意力が足りないことにも気が付いた。「信号をよく見て渡ろう」と元喜君に教えてきたことが通じない実態に強いショックを受けた。 「信号の構造そのものが事故につながっているのではないか。このままでは同じような事故がまた起きる」。そう考えた長谷さん夫婦は、元喜君が事故に遭った交差点を、歩行者が横断中は全方向の車両を停止させる「分離信号」に改善するよう、東京都と警視庁に求める署名運動を行ったが、「交差点の状況からみて、渋滞の恐れがある」などの理由で受け入れられなかった。4年前には、都などを相手に信号の管理責任を問う訴訟を起こしたが、昨年8月、一審に続いて東京高裁でも訴えは棄却された。 それでも長谷さんは今年7月、分離信号の重要性を広く知らせたいと、これまでの活動を「子どもの命を守る分離信号」(生活思想社)という本にまとめた。神奈川県では昨年、「信号や交差点を改善して事故を減らそう」という市民運動が始まった。「交通行政市民オンブズマン」(神奈川県横須賀市)だ。代表の工藤昇弁護士が、交通事故の裁判を担当した経験から、道路自体の欠陥で事故が起きたケースが意外に多いと発足させた。信号が見にくかったり、歩行者が死角になったりする交差点を調査して行政に改善を求め、インターネットのホームページや電話相談「危ない道路110番」などを開設している。 「各地に私たちと同様の組織ができれば、交通システムのあり方を『人間優先』に変える力になる」と工藤さんは話している。 報道記事目次へ M67 【※】朝日出版情報欄で多くの書籍と共に下記の生活思想社出版物が情報紹介されました 人文・社会科学 浅野富美枝 子どもが性とであうとき 1600円 生活思想社 長谷智喜 子どもの命を守る分離信号 1800円 生活思想社 脱クルマ・フォーラム編 脱クルマ21-3
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著者のお子さんも、青信号で交差点を横断中に、左折してきたダンプカーに轢かれて死んだ。小学5年生だった元喜君は「信号はなぜあるの?」「答え 信号がないと交通事こにあうから」という自作のなぞなぞカードを作っていたという。 しかし、信号があっても交通事故に遭ってしまったのである。深い悲しみを来り越える中で、著者がたどり着いた結論は、青信号で渡っていても交通事故に遭ってしまうような「ニセ青信号」を改め、人と車とを完全に分離して通行させるような「分離信号」方式にしなければいけないということであった。スクランブル信号や、歩行者用の押しボタン信号はすべての車を止めて、人だけが連路を横断する「分離信号」である。通常の交差点でも信号機のサイクルを変えるだけで「分離信号」にすることができる。すべての交差点を分離信号にすれば、歩行者の交通事故は激減するはずで、こんなことに今まで気づかなかったのが不思議なくらいである。ドライバーとして、歩行者として、そして何よりも子どもを持つ親として、すべての交差点が一日も早く「分離信号」になることを強く望む。 事故以来「青信号を渡る子どもの命は守りたい」と歩行者事故の実態を見つめ続ける著者は、繰り返し起きる青信号事故を「行政が容認する構造死」と厳しく批判する。また分離信号運動中の中で「歩行者事故防止研究会」を主宰する (税別1800円) 報道記事目次へ
子どもの命を守る 分離信号 紹介 青信号の横断歩道で歩行者が右左折の車両に巻き込まれ、犠牲となる事故が頻発している。こうした事故を防止するため、歩行者の横断時に交差点の車両をすべて停止させる「分離信号」の導入を訴える動きが、犠牲者の家族を中心に全国的に広がっている。 左折ダンプの事故で長男を失った都内の両親は、裁判や『子どもの命を守る分離信号』(生活思想社)の出版を通して、「分離信号」の導入を訴えている。また、神奈II県では98年、交通行政市民オンブズマン(横須賀市)によって、「信号や交差点を改善して事故を減らそう」という市民運動が始まっている。こうした運動を背景に、「分離信号」を取り入れる交差点が各地で増えており、埼玉県警では98年9月に県内10カ所の交差点を分離信号化した。 讀賣10.26 写14 写真14 生活思想社 著書 子どもの命を守る分離信号 報道記事目次へ あなたが選ぶ この人が読みたい ■■■川崎市広本義孝さん(三九)からのメール 青い前掛けは八枚目になった。だるまの形をした石の地蔵に帽子と一緒にかけられている。毎年十一月十一日になると取り換えられる。布は新しくなっても、ずっとこう書かれている。「ぼくのわたったしんごうはあおだったよ」 東京都八王子市の病院で事務職員をしている長谷智喜さん(四七)は、この言葉の意味を考え続けてきた。一九九二年十一月十一日、よく晴れた朝だった。長谷さんの長男で小学校五年生の元喜君(当時一一)は、妹と二人で家を出た。自宅から八百メートルほど先のT字路を青信号で渡り始めた直後、後ろから左折してきたダンプカーに巻き込まれた。即死だった。数日後、元喜君のランドセルから手作りのカード六枚が見つかった。学校の子ども祭りで使うクイズの問題と答え。事故の前の晩、元喜君が一生懸命作ったものだ。「ドラエもんは何せいきからきたのでしょう」「今年はなに年」。そんななかの一枚に長谷さんの目はくぎ付けになった。質問「信号はなぜあるのか」答え「信号がないと交通事こにあうから」 道路へ飛び出したわけではない。安全を信じて渡った青信号のはずだった。車の運転手は通常、青信号で右左折する時、交差する横断歩道を歩行者が渡っていれば停止して待つ。だが、現実には人身事故が相次いでいる。「見落とし」という不注意があるからだ。「人間の注意力に頼る信号システムに問題がある」そう確信した長谷さんは夜勤明けや休日を利用して、各地の交差点での車両交通量や歩行者の通行量の調査、危険度の研究を重ねた。子どもの事故があれば現場を訪ね、原因を分析した。新聞記事に載っていた事故現場には、必ず花が置かれている。子どもの事故の場合は、家も近く被害者宅はすぐにわかることが多い。遺族からもじっくりと話を聞いた。断られることもある。家の前まで行っても外でそっと手を合わせて戻ることもあった。 「人と車の流れを完全に分ける信号であれば、悲劇は繰り返されずに済む」。長谷さんの出した結論だった。歩行者が交差点の横断歩道を渡っているときは、車側の信号はすべて赤になる。この仕組みは「分離信号」などと呼ばれている。長谷さんは最初は呼び方も知らなかった。通学路を分離信号に、という要望はささやかなものだと思っていた。元喜君が通った小学校の先生たちや地域の町内会長らも賛同してくれた。最終的に二万人を超える署名が集まり、警察に要望書を提出した。 「分離信号にすると信号の待ち時間が長くなり渋滞する。歩行者も待ちきれずに信号無視が増える恐れがある」というのが警察の回答だった。元喜君の事故現場の信号についても「現状のまま変える必要はない」。 長谷さんは、ダンプカーの運転手らに加えて信号を管理する東京都を相手取って損害賠償を求める裁判を東京地裁に起こした。信号の危険性をクローズアップさせたかった。東京高裁まで争ったが、都の管理責任は認められなかった。昨年夏、事故以来の運動の経緯をまとめて「子どもの命を守る分離信号」(生活思想社)を出版。年末にはインターネットのホームページも立ち上げた。 長谷さんの問題提起は、しだいに広がりをもってきた。三月の岐阜市議会では、長谷さんの著書を手にしながら市議がこう訴えた。「青信号は決して安全なものではない。人と車を同じ平面で交わらないようにしていかなければならない」長谷さんも裁判を傍聴した。人から誘われて全国母親大会に出かけたり、交通安全に取り組む市民に招かれたりして、講演する機会が増えた。母親を中心に、長谷さんと同じ要望が各地で出されるようにもなった。千葉市内のモデル地区では六月末に通学路十カ所を分離式にする準備が進んでいる。 仲の良い四人家族だった。北海道が好きで、毎年家族で旅行に行った。家には、事故の年の夏に旅行した時の元喜君の写真が飾られている。家族が三人になってからは出かけていない。「元喜を家に置いていけない」という思いからだ。長谷さんの趣味だった風景写真の撮影もやめた。「自然を見ても感動しなくなってしまった」と言う。ささやかに思えた願いで始めた運動に、長谷さん夫婦は仕事以外の生活のほとんどを費やしてきた。子どもを突然失った悲しみは運動に打ち込むことで埋まるわけではない。「強制されていたのなら、とても続かなかったでしょう。亡くなった元喜の意志と思うしかないですね」事故現場の交差点の信号システムは八年前のあの朝と変わっていない。交差点のわきで地蔵になっただるま形の石は、妻のかつえさん(四六)が事故後に近くで見つけたものだ。前掛けの青は、信号の色を示している。 文・蝶名林 薫 写真・大北 寛 報道記事目次へ |