高裁へ控訴 平成四年十一月、小学五年生の男子を交差点で亡くした八王子市上川町、長谷智喜・かつえ夫妻は、同九年十二月二十五日、東京地方裁判所八王子支部から言渡された判決の一部を不服として同十二月一三十日、古田兼裕氏ら三人の弁護士を通じ東京高等裁判所へ控訴した。高裁の第一回審理日は末定だが、被告(運転手)、同芳村石産M(代表取締役・芳村光雄氏)及び東京都知事・青島幸男氏に対し、損害賠償請求を行なった。 地裁提出資科とは別の角度から「歩車混在交差の危険性、分離信号の必要性」などを提唱し、合わせて東京都の瑕疵について係争する。なお、地裁判決の内容は、被告(運転手)、芳村石産Mは、連帯して原告に支払うこと」となったが、その他の請求並びに被告の東京都に対する都道管理の不適任」ついてはいずれも棄却された。また、訟訴費用については原告と被告渡辺氏及び芳村石産との間に生じたものを四分し、その一つ一つを原告、被告が負担するほか、原告と東京都との間に生じたものは原告が負担するものとなった。 講演や執筆と引っ張り凧の長谷智喜さん 「分離信号」の設置を叫び続ける歩行者事故防止研究会の長谷智喜代表は二月一日、車社会を問い直す会(会長杉田聡氏・帯広)に招かれて東京集会において分離信号訴訟の経緯について講演する。また、生活思想社から依頼されて、「脱クルマ21」に投稿すべく執筆中であり(三月発行予定)二月十五日に開かれる交通事故遺族の会総会でも裁判体験について講師を務めるなど、幼い子供を交通事故で亡くされた父親の「分離信号」を広め、人にやさしい交差点実現に向けた運動を、これからも根強く続けられる。 報道記事目次へ M33 1998年(平成10年)5月20日(水曜日)東京新聞夕刊 「ベタ記事」を追う 横断歩道を青信号で渡っていた小学校五年の長男が突然この世から消し去られた。加害者のダンプカーも信号が青なので左折してきたのが事故の発端。 「何で殺されたのだ。そうだ、青でも車が来るからなんだ」。 そして、両親の運動が始まった。「危険な交差点では歩行者が横断するときには、車両を全面的にストップさせる信号システムにすべきだ」。運動はいま、法廷を舞台に繰り広げられている。 (八王子通信部・小畑一成) 左折ダンプに息子ひかれた両親が運動 「行ってきます」。雲一つない秋晴れの一九九二年十一月十一日朝、東京都八王子市上川町の長谷智喜さんの長男で小学五年生の元喜(げんき)=当時十一歳=君はいつものように二つ下の妹友姫(ゆうき)さんと家を出た。学校までは約千五百メートルの都道・秋川街道。半ばに上川橋交差点があった。同交差点はT字路。元喜君たちは街道左側の歩道で信号を待っていた。歩行者信号が青になり、活発な友姫さんが先に、慎重な元喜君が後から渡ったところ後ろから来たダンプカーが左折して元喜君をひいた。母かつゑさん(四四)は、教頭から元喜君が事故に遭ったと電話で知らされた。夫の智喜さん(四四)の勤務先に電話を入れ、健康保険証を持って家を出た。交差点で元喜君に掛けられた毛布を見つけ、息子の死を悟った。葬儀を終え、元喜君のバンドのちぎれたランドセルが自宅に戻ってきた。両親が中を改めると、元喜君が作ったなぞなぞカードが出てきた。 「信号はなぜあるのか」。答えは「信号がないと交通事こにあうから」(原文のまま)。涙が止まらなかった。 妹「ユウレイでも、お兄ちゃん帰ってきて」 友姫さんは両親にあてて手紙を書いた。「なかないでね、かあさん、おとうさん。つらいことはもっとあるよ。だからおねがい。なかないでね」でも学校では「ユウレイでもいいから、お兄ちゃんが帰ってきてほしい」と作文を書いた。友姫さんは卒業するまで、その交差点を渡らなかった。 管理過失認めぬ都 二審あす結審 事故現場では、採石場を行き来する大型車両がひんぱんに通る。「たまたまうちの子だった。いま生きている子供たちを同じ目に遭わせたくない」。両親は事故防止を訴える写真展の準備に乗り出す。地域の人や同級生の母たちが支援に立ち上がり、二万人を超える一署名が集まった。 その署名を添え、事故現場など危険な交差点に分離信号設置を求める要望書を九四年一月まで計五回、警視庁や八王子署へ提出した。だが、やっともらった回答は交通渋滞などを理由に、「現状では直す必要がない」だった。両親は、これ以上やってもだめと戦術を変更、「現場は(歩行者に)安全性の高い、分離信号に改めるべきで、信号機の設置、管理に過失があった」として、九五年十一月、都などを相手取って訴訟に踏み切った。「信号の改善があれば訴訟を取り消す」とする両親に対し、都は「運転手の著しい過失が原因で、事故発生の責任はない」と争った。 昨年十二月、東京地裁八王子支部であった判決では、運転手と雇用主に約三千三百万円の支払いを命じたものの、都に対する訴えは棄却。「信号を分離式に改めれば、交通事故発生の確率が減少する」と認めながらも「違法走行など交通上のあらゆる危険を防止する安全性を備える必要はない」との判断だった。両親は、「完全を求めたのではない。都は予算がつく限り、安全な信号に付け替えていくべきだ」と控訴した。「〃マナーを守れ〃ばかりでは、子供の命は守れない。押しボタン式分離信号なら渋滞のおそれは少なく、安全性は飛躍的に向上する」と訴える。二審は東京高裁で二十一日に結審の予定だ。 【記者メモ】 事故現場を訪れた。横断歩道を渡ると、右折や左折する車が、早くどけと言わんばかりに近づいてくる。車を避け、斜めに小走りで渡るはめになった。登校児童は大型車を相手に毎日こんな思いをしているのか。見通しがよく、交通量も少ない交差点。ドライバーの心のすきが見えた。 【写真】 11歳で亡くなった元喜君 報道記事目次へ M34 1998年(平成10年)5月23日 毎日新聞夕刊 ■「隼ちゃん事件」署名支援時の掲載記事 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 息子を事故で亡くした八王子の夫妻 東京都世田谷区で小学2年の片山隼君(8)がダンプカーにひかれて死亡した事故をめぐり、「運転手の不起折処分は不当」として広がっている署名活助に、八王子市の病院職員、長谷智喜さん(44)、かつえさん(44)夫妻が加わっている。 5年半前、夫妻は同じような横断歩道での事故で小学5年だった長男(当時11歳)を亡くした。現在、都などを相手に交差点の信号機設置の仕方を追求する訴松を起こして係争中だ。最愛のわが子を失った共通の無念さを胸に、署名の支援を進めている。 信号機設置めぐり係争中 長谷さん夫妻の長男元喜君はl992年11月、自宅近くの都道交差点で、横断歩道を青信号で渡っている時、同じ青信号で左折してきたダンプカーにはねられ死亡した。夫妻は95年、歩行者が横断歩道を渡っている時には車側の信号はすべて赤になる「押しボタン式の分離信号機」を都は設置すべきだった、などとして約1億5000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁八王子支部に起こした。昨年12月の1審判決は、ダンブの運転手と運送会社の過失を認めて約3320万円の支払いを命じたが、「信号機設置に落ち度はない」と都に対する請求は棄却した。 長谷さん夫妻は、都の責任が認められなかったことから控訴。東京高裁での審理はこのほど結審したが、この間に隼君の事故をめぐる署名活動を知り、参加した。これまでに集めた署名は300人分。「隼君も安全な場所を求めて青信号を渡っていたのに命を奪われた。子供を亡くしたご両親にかける言葉はないが、その思いに応える行動は出来る。私たち夫婦も周囲の人に支えられて、(主張を裁判で訴えるなど)しっかりやってこられたのだから」と思いを話す。目撃者探しを続けた隼君の両親と同じように、長谷さん夫妻も1審当時、八王子市内の交差点で交通量を調べたり、事故現場に出向いて、自ら検証を行うなど証拠資料集めに奔走した。 高裁に提出した最終陳述書は「『信号はなぜあるの?』『信号がないと交通事故にあうから』」と結ばれている。事故現場に残されたランドセルの中にあった1枚のカードに、元喜君が書いていた内容だった。しかし、その信号機は息子を守ってはくれなかった。智喜さんは「子供たちを教育する大人と行政が、その考え方を尊重しなくてはいけない」と強調し、安全な信号機の設置を訴えている。【坂巻士朗】 報道記事目次へ M35 1998年(平成10年)6月4日 内外タイムス(上) 信号はなぜあるの? 青信号は本当に安全のシンボルなのか?東京都に対し、交通事故が起きたのは行政の責任として、歩行者の安全を考えた信号機の設置を求める訴訟が結審、8月に判決が下される。訴訟を起こしたのは、長男を交通事故で失った東京都八王子市上川町、医療事務員長谷智喜ん(44)。「交通事故は当事者同士の責任」という常識に挑むその理由とは−。 「今考えると、事故の前日が私たち家族の幸せの絶頂だったんでしょうね・・・」1992年11月、長谷さんの長男元喜君=当時(11)=は通学路であった東京都八王子市の上川橋交差点を横断中、背後から発進左折してきたダンプカーの過失により衝突、即死した。信号が青に変わった後の横断だった。最初、長谷さんの気持ちは加害者に対する恨みでいっぱいだった。そのため自家用車もワゴン車に買い替えた。これだとダンプの運転手が中で何をやってるのかよく見えますでしょう」 その気持ちが次第に信号システムへの疑間へと変わっていった。「なぜ、青信号を渡っていた息子が死ななければならないのか」 「安全のシンボルに不信感」 JR八王子駅から車で北に30分ほど走り、事故現場を訪れてみた。歩行者の数は少ないが「ダンプ街道」と呼ばれ、現場から数百メートル離れた関東最大級の採石現場へと向かうダンプカーが次から次へと交差点を通過していく。「1日に800台ほどのダンプが通過して行きます」事故後、長谷さんは現場の交通状況を妻かつえさんとともに調査し、その危険性を分析した。 また、図書館に通いつめ、交通事故に関する勉強もした。その結果、ここ数年のうちに、現場近くの交差点でも同じように大型車両との衝突による死亡事故が起きていることが分かった。亡くなったのは横断中の老人や女子高生、そして幼い子供たちだった。「行政が歩行者の命を考え、信号システムの改善を行えば事故は未然に防げる」長谷さんはそう結論付け、事故のあった現場でも押しボタン式の「分離信号」の適用が適切であったと主張し始めた。 「分離信号」とは、車と歩行者の流れを分け交差点内で混在しない信号。渋谷ハチ公前のスクランブル交差点にある信号がそれ。長谷さんは「全国交通事故遺族の会」に所属し、東京都世田谷区で片山隼君U当時(8)=がダンプカーにひかれて死亡した事故で、運転手が不起訴処分になった事件で、隼君の両親とともに「不起訴は不当」とし、署名運動に取り組んでいる。隼くんも青信号を横断中、命を失っていた。「危険は、体験して初めて分かる。でも、事故は分かってからじゃ遅い。それに気付いたからこそ、今ある命についてはあきらめたくないんです」長谷さんはそう語った。 【写真】 事故現場に立つ長谷智喜さん(東京八王子市の上川橋交差点) 報道記事目次へ M36 1998年(平成10年)6月5日 内外タイムス(中) 信号はなぜあるの? 「信号はなぜあるのか」「信号がないと交通事こにあうから」1992年11月八王子市上川町の上川橋交差点で事故死した長谷元喜くん=当時(11)=の遺品となったランドセルには、元喜くんの字でそう書かれたなぞなぞのカードが入っていた。 交差点の信号の設置基準について警察庁に尋ねてみると「各都道府県で設置基準は異なり、最終的には公安委員会が決定している。歩行者の量、流れなど全体を考慮し設置している。調査にぬかりはありません」(交通総務課)とのことだった。総務庁から毎年発行されている「交通安全白書」によると事故類型別死亡事故発生件数のうち、横断歩道横断中死亡事故は96年8.5%、95年8%、94年8%、93年8%、92年8%とほぼ同率である。その他の項目も一定率で起こっており、毎年同じ確率で同様の過失が起きていることになる。 1日に1つは消える幼い命 「交通事故はある一定の率で起こるということで片付ける問題ではない」 岩波新書から「交通死」を著した、神戸大学経営学部の二木雄策教授はそう語る。自身、交通事故によリ20歳の娘さんを失っている。 「事故を仕方のないことというのは、事故を起こした側の論理。車優先の交通状況のしわ寄せが、交通弱者に来ている。本来、車は人のためにあるものではないですか」元喜くんの父親長谷智喜さん(44)は「だからこそ分離信号が必要なんです」と念を押す。事故後、長谷さんは事故防止を訴える写真展を開き、そこで署名を集めた。最終的に2万人を超えた署名は、95年1月までに計5回にわたり、警視庁や八王子署にあて、危険な交差点に分離信号設置を求める要望書とともに提出した。「これで行政の方々も分かってくれるかなあと思ったんですが…」 だが、警視庁交通管制課にやっともらった回答は「分離信号は歩行者と車両が立場を尊重し、互いに注意し合う現行のルールになじまない(事故現場も)大丈夫です。直す必要はありません」というものだった 「何が大丈夫なのかさっぱり分からない」と感じた長谷さんは、「行政側は予算の許す限り、分離信号に改めるベき信号機の設置、管理に過失があった」と、都などをを相手に、元喜くんの命日に当たる95年11月11日、訴訟に踏み切った。警察庁の調べによると、15歳以下の交通事故死傷者は平成8年だけで33l人。1日1つの幼い命が失われている 【写真】 「ぼくのわたったしんごうはあおだったよ」。長谷元喜君の事故現場にそなえられたお地蔵さん(東京八王子市) 報道記事目次へ M37 1998年(平成10年)6月6日 内外タイムス(下) 信号はなぜあるの? その事故も、青信号での横断中に起こった。昨年2月、品川区勝島の大井競馬場北門前交差点で起きた交通事故で、当時9歳の児童が自転車で横断歩道を走行中、背後からきたミキサー車にひかれ死亡した。事故のあった交差点を訪れてみた。各社の倉庫が立ち並ぶ大井ふ頭に向かい、ダンプカーやトレーラーがビュンビュン通過していく。車道に立つと、左折する際に横断歩道は建物の死角になりやすい。現場は、近くにある団地から複数の小中学校をつなぐ通学路として使われている。そのためか、すぐそばに歩道橋があるのだが、自転車が通れる造りにはなっていない。当初事故現場に飾られていたという花束は、いつしかなくなってしまい、訪れた時には命が失われた形跡はすでになかった−。 危険を承知の運用なのか 近所の人の話によると、現場では児童が亡くなる前にも数回、車両同士の衝突事故が起きていたという。左折する際、視界をさえぎる電柱があったというが、児童が亡くなった後、取りはずされたらしい。交差点付近で飲食店を構え12年になるという女主人は「亡くなってから取りはずされてもねえ・・」と後手に回る行政に疑問を投げ掛ける。事故現場を所轄している大井警察署は「歩道橋に自転車用の通路を設けるという話は聞かないねえ」と話し、同様の事故が起こる可能性は今も残ったままだ。東京都八王子市の医療事務員長谷智喜さん(44)が、東京都に対し分離信号の設置を求めた訴訟は2年にわたる審議の結果、地裁八王子支部の判決で棄却された。その理由は「信号機は、交通法規に従った利用方法がなされることを前提とした上で、その安全性の有無が検討されるべきで、あらゆる交通上の危険性を防止する絶対的安全性を具備する必要はない」というものだった。長谷さんは東京高裁に控訴した。この裁判について都と警視庁に尋ねると、いずれも「訴訟中なので、何もお答えできません」とのことだった。 5月21日、東京高裁で行われた控訴審公判の最後、長谷さんはいつも懐にいれている元喜くんの位はいを机に置き、 「このような事故がうちの子だけであったら文句を言いません。でも、あっちでもこっちでもこのような事故が起きているでしょう。あなた方はそれを承知で信号の運用をしているのですね・・・」 と訴え、裁判は結審した。判決は8月27日言い渡される。(今泉恵孝) 報道記事目次へ M42 1998年(平成10年)8月28日 讀賣新聞多摩版 八王子の「分離信号機」控訴審 小学校五年生の長男が道路横断中に交通事故に遭ったのは、安全な信号機を設置しなかった都にも責任があるとして、八王子市に住む病院職員の夫妻が、加害者のダンプカー運転手とともに都を相手取って、約一億五千万円の損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決が二十七日、東京高裁であった。小川英明裁判長は、「運転手が注意義務を怠ったために事故は発生したのであり、信号機は通常有すべき安全性をそなえている」として、運転手と雇用主の採石会社に約三千三百万円の支払いを命じたが、都に責任はないとした東京地裁八王子支部の一審判決を支持、控訴を棄却した。 訴えていたのは、同市上川町の長谷智喜さん(45)、妻かつえさん(45)。判決などによると、一九九二年十一月十一日午前八時ごろ、長男元喜君(当時11歳)が、自宅近くの小学校に登校途中、上川橋交差点を青信号で渡っていhた際に、同じく青信号で渡っていたダンプカーにひかれ死亡した。夫妻は、危険度が高い交差点では歩行者が横断する際、車両の信号を赤にして進行を分ける「分離信号機」を設置するべきだったと主張、都の管理責任を追及してきた。東京高裁の判決では、「横断歩道付近の見通しは良好で、相当な注意義務を尽くせば、事故は回避でき、都としては必要な設備を施している」と、交差点の危険性を認めた一審判決より後退した内容。 判決後に長谷智喜さんは「罪のない子供の命を救いたいと、より安全な信号機を求めて活動してきたが、残念だ。この問題について今後どういう姿勢を取るのかを警視庁に尋ねてから上告を考えたい」と話していた。 報道記事目次へ
M44 1998年8月28日(平成10年)東京新聞朝刊 多摩版 ■東京高裁判決を報じた東京新聞記事 NO1 歩行者保護おざなり 「青信号で渡る子どもを守るのは車社会のルールではないのか。信号機の運用のあり方などめぐって争われた八王子の”分離信号機訴訟”。 「運転手の注意で防ぐことができた事故」として都に責任がないことをあらためて示した二十七日の東京高裁の判断に、原告の長谷智喜さん(45)ら夫妻は声を詰まらせた。これまで支援してきた団体も「行政の交通事故死への対策は運転手保護だけ。もっとも弱い歩行者がおざなりにされている」と現状を批判した。 車社会優先浮き彫り 両親会見『なぜ青信号で犠牲に…』 「予想通りの判決だが、(裁判の)勝ち負けは気にしていない。今回の判決は、自動車優先の環境で起きる、理不尽な事故はやむを得ない、と司法が判断したと思う」閉廷直後、智喜さんは集まった支持者数十人を前に淡々と語った。 長男の元喜君を失った事故から約半年後、長谷さんは「青信号は決して安全ではない」と題した写真展の開催を皮切りに、分離信号機設置へ向けてさまざまな運動を開始。警視庁へ要望書を提出した際は、二万人近い署名を添えた。数回の要望に対し、都や警視庁は「現在の交通ルールの考えになじまない」と回答。その結果、起こした法廷闘争でも長谷さん夫妻は、「信号の改善があれば訴訟は取り消す」と公言してきた。 しかし、判決では運転手らの責任を認めただけ、運動が八王子署を動かし、今年六月、現場の交差点に歩行者用信号の設置が決まつたが、結局自動車優先の交通社会へ一石を投じるまでには至らなかった。記者会見で長谷さん夫妻は目に涙を浮かペ、 「なぜ青信号を渡っていたのに殺されなければならないのか。そして、救える方法があるのに耳を傾けてもらえなかったのが残念」と語った。 支援してきた「全国交通遺族の会」理事の戸川孝仁さんも「先日、ある自動車メーカーが事故の際に歩行者へのダメージを減らす新技術を発表したがこれまで開発されなかったのが不思議」と疑問を呈した。 【写真1】長谷元喜 報道記事目次へ M45 1998年(平成10年)8月28日東京新聞 ■東京高裁判決を報じた東京新聞記事 NO2 小5交通死は「分離信号機」ないから 小学五年生の長男がダンプカーにひかれて死亡したのは、歩行者の横断中は車両用信号をすべて赤にする「分離信号機」を設置していなかったらだ、などとして、両親が道路を管理する東京都などに対し、総額約一億五千万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が二十七日、東京高裁であり、小川英明裁判長は、都への訴えを棄却した一審判決を支持、両親の訴えを退けた。 訴えていたのは、東京都八王子市上川町、病院職員長谷智喜さん(45)、かつえさん(45)夫妻。長男の元喜君=当時(11)=は一九九二(平成四)年十一月、通学途中の丁字路交差点を青信号に従って横断中、左折してきたダンプカーにひかれて死亡した。判決の理由について、小川裁判長は「運転手が左折時に必要な注点を尽くせば回避することができた事故」とし、現場には危険防止に必要な設備はあったとして訴えを棄却した。 一審の東京地裁八王子支部は昨年十二月、「信号を分離式に改めれば交通事故の発生確率は減少する」と分離式信号の安全性は認めたが、「運転手の重大な過失による事故で、信号機自体に瑕疵(かし=欠点)はない」として都への訴えを棄却、運転手と雇用主に計約三千三百万円の支払いを命じた。 報道記事目次へ M51 週間朝日1998年10月2日号 告発ルポ第4弾 これでいいのか交通行政@ 柳原三佳 ジャーナリスト 分離信号はなぜできない 六年前、登校中の小学生が青信号で横断歩道を横断中、同じく青信号で左折してきたダンプカーにひかれて即死した。「なぜ、青信号を守っていた子供が殺されなければならないのか」。その疑問を抱いた両親は、車と歩行者の「分離信号」普及運動とともに、東京都の管理責任を問う裁判を起こした。行政は、「人中心の道路政策」を掲げているが、弱者が安心して歩ける道路は本当に実現するのか。今シリーズでは、事故減少のために交通環境の改善を訴える人々を追う。 「朝、いつものように『行ってらっしやい』と子供を送り出し、そのすぐあとに『即死】という悲報を聞かなければならなかった親は、私たちのほかにも大勢いらっしやると思います。だからこそ、子供たちが通る道路をもう一度見直し、信号を守って正しく歩いている子供の命くらいは守ってほしい。私たちの願いはそんなささやかなものなのです」長谷かつえさん(45)は、高裁判決公判後に開かれた記者会見のマイクに向かって、声を詰まらせながらこう語った。隣の席には夫の智喜さん(45)、そして、後ろには、六年前に亡くなった長男・元喜君(当時十一)の写真パネルが置かれていた。「あと二、三秒早く横断歩道の向こうへ渡っていたら、息子は今、十七歳の高校二年生。きっと青春を謳歌していたはずです」かつえさんは、無念そうに語った。「主文。本件各控訴を棄却する。本件各付帯控訴を棄却する……」八月二十七日午後三時、東京I高等裁判所で行われた判決言い渡しは、わずか一分足らずで終わった。この裁判で、長谷さん夫妻は、「長男が交通事故死したのは、現場の交差点に『分離信号機』を設置しなかったためで、東京都にも責任がある」と主張し、加害者とともに東京都を相手取って、約一億五千万円の損害賠償を求めていた。昨年十二月、東京地裁八王子支部で下された一審判決は、加害者とその雇用会社に約三千三百万円の損害賠償責任を認めたが、都の責任は認められないという判断。長谷さんはその判決を不服として控訴したが、結果的に高裁も、「運転手が相当な注意義務を尽くせば、分離信号にしなくても、本件のような左折事故は回避できる」という理由で一審判決を支持、控訴を棄却したのだった。 一九九二年十一月十一日、晴天。その日の朝、八王子市上川町に住む長谷元喜君と妹の友姫ちやん(当時九歳)は、いつものように自宅を出て、通学路の秋川街道を歩いて小学校へと向かっていた。途中、上川橋交差点で歩行者用信号が「赤」だったため、二人並んで横断歩道の手前で信号待ち。しばらくして信号が「青」に変わったため、先に友姫ちやんが、そしてその後に続いて、兄の元喜君も横断を開始した。そのとき、元喜君の背後から突然大型ダンプが迫ってきた。砕石運搬用のそのダンプは、元喜君らと同じく、前方の信号が「赤」だったため停止していたが、「青」に変わったため発進。横断中の子供がいるにもかかわらず、無造作に左折を始めたのだった。次の瞬間、元喜君の姿はダンプの下に消えた。学校からの知らせを受けて、すぐに事故現場へ駆けつけた長谷さん夫妻は、路上にかけられている毛布を見たとき、すべてを悟った。ダンプの巨大な右後輪でひかれた元喜君は、頭蓋骨粉砕骨折で即死だった。「何なんだ、この事故は!どうして青で横断歩道を歩いていた息子がやられなければならないんだ」父親の智喜さんは、怒りに震えた。加害者は、同じ八王子市内に住む四十八歳のダンプ運転手だった。後続車の証言によると、ダンプはウインカーも出さずに左折。加害者本人は無線に興じていたため、横断歩道を歩いていた子供たちにはまったく気づかなかったらしい。長谷さんは語る。「無残に引き裂かれた息子のランドセルを開けると、中から、学校の行事で使う予定だったという自作の『なぞなぞカード』が数枚出てきました。その中の一枚を目にした私たち夫婦は、言いようのない深い悲しみと強烈なショックを覚えました。そして、あとからあとから流れる涙を止めることができませんでした」そのカードには、元喜君の文字で、「信号はなぜあるのか?A‐信号がないと交通事故にあうから」と書かれていた。数カ月後、長谷さん夫妻は独自の調査を開始した。時間があれば図書館に通い、「信号機」とその運用について勉強を重ねた。「この事故をきっかけに、私たちは信号機の運用に対して大きな疑問を持ちました。なぜ、国の指導どおりに青信号を守っていた子供の命が奪われなければならないのか……。私は、亡くなった息子が残したこの問いを、父親としてどうしても放置しておくことはできませんでした。もちろん、歩行者を見落とすという悪質な運転者さえいなければ、信号のことを議論する必要はありません。しかし、人間がミスを犯す生き物である以上、人と車の交差構造を根本的に見直さなければ弱者の命は守れない、そう思ったのです」 周辺で多発していた歩行者青の蹂躙事故 長谷さん夫妻は、まず過去の新聞記事を検索し、同じような事故について調べてみた。すると、八王子市郊外の自宅周辺地域で、元 ●八○年七月日吉町交差点で青信号を手をあげて横断中の小二が、右折大型ダンプにひかれ即死 また、元喜君の事故後も、周辺地域では右左折事故が相次いだ。加害車両に大型ダンプが多いのには理由がある。この地域には美山という大規模な採石場があり、朝から晩まで、砕石を運搬するためのダンプがひっきりなしに往来するのだ。重大事故の多発、騒音、排ガス、泥・石ハネ、粉塵などの「ダンプ公害」については、地元住民からの苦情も多く、市民運動にまで発展した経緯もあった。 警視庁は分離信号で安全高まるといえず 九三年七月、長谷さんは地域住民を中心とする約二万人分の署名を添えて、八王子署に要望書を提出した。「歩行者が少ない交差点の信号は、押しボタン式信号にして、歩行者がいるときには車両を全面ストップするような信号システムに改めてほしい」というのがその内容だった。ところが、要望に対する返答がなかなか返ってこなかったため、長谷さんは事故からちょうど一年後の十一月十一日、今度は信号を管理している警視庁交通管制課を訪れ、回答を求めた。しかし、警視庁の見解は、「現状では改善する必要はない」というものだった。長谷さんは語る。「この返答の真意について、新聞社の方が再度警視庁に間い合わせたところ、『分離信号は、歩行者と車両が立場を尊重し、互いに注意しあう現在の交通ルールの考えになじまない』という答えが返ってきたそうです。しかし、同じ八王子市内でも、分離信号を設置し、人と車をうまく分けながら流している交差点はあるのです。少なくとも、こちらの交差点では、息子のような悲惨な事故は起きないはずです。なじむとかなじまないで片づけられる問題ではないと思うのですが」署名運動や要望書提出ではこれ以上の進展が期待できないと感じた長谷さんは、国家賠償法第二条「公の営造物の設置又は管理の瑕疵に基づく損害賠償責任」に基づいて、九五年十一月、東京都の管理責任を問う民事訴訟を起こしたのだった。しかし、冒頭でも書いたように、結果約にこの裁判で東京都の責任は問われなかった。一審の判決文には、「原告らの主張するように、分離式信号に改めれば、交通事故発生の確率が減少することが予想される」と明記されていたが、二審では、「事故現場の非分離式信号機は、交差点で危険の発生を防止するための安全性を備えていた」「運転者が相当な注意義務を尽くせば防げた」という理由が前面に押し出され、長谷さんらの主張を、さらに一歩後退させる内容となっていた。 ちなみに、歩行者用信号機が設置されている交差点の場合、長谷さんの要望する「分離信号」のシステムに変える作業は、それほど大がかりなものではないというが、なぜ行政はこの要望にこたえることができないのか。警視庁に話を聞いた。 「歩行者と車両を分離する信号は、その交差点だけについて言えば、理論上は非常に安全性が高まると考えられます。しかし、歩行者の待ち時間が長くなったり、車両に与える青時間の減少につながり、信号無視などの新たな危険も増えると考えられます。また、そういったことから渋滞が誘発され、さらにその渋滞を避けるため、生活道路へ車両が入り込んで、沿道や信号機のない交差点などで新たな危険が発生することも考えられます。つまり、歩行者と車両を分離する信号機を設置すれば一概に安全が高まるということではなく、それぞれの交差点において、最も効果的な手法を採用する必要があると思います」 車を流すことを優先 人と車の交差強いる では、「最も効果約な手法」とは、どのように検討・決定されるのか。「信号の設置については、都道府県の公安委員会において、個々の交差点の道路の形状、見通し、交通流量などの交通状況を総合的に勘案いたしまして、判断しております」(警視庁) 警視庁によると、現在、東京都内に設置されている信号機は一万四千百六十一基。そのうち分離信号は三百八十九基である。二審判決後、長谷さんは最高裁への上告を断念し、今後もこの問題を個人約に追及していくことに決めたという。 一、歩行者の利用が極めて少なく、右左折車両の往来が激しい危険な交差点には、押しボタン式車両全赤交差点 二、歩行者も右左折車両も多い危険な交差点には、定時式車両全赤交差点(スクランブルを含む) 三、どうしても人と車を交差させなければならない信号のある交差点には、車両に歩行者保護を認裁させる黄色点滅や青の点滅信号 長谷さんは語る。 「交通事故の約四○%は、交差点および交差点付近で発生しています。行政は、ドライバーの不注意によって、毎年一定の率で子供や老人の命が消えていくことを承知しながら、まず車を流すことを優先し、人と車の交差を強いてきたのです。ですから私は、歩行者が犠牲となるこの種の事故死は、交通事故の中の『構造死』と言っても過言ではないと思うのです。交通行政が容認する構造死を、このまま見過ごしてよいのでしょうか。この不幸は、行政が信号の運用を改善しない限り、一見平和な光景の裏側で淡々と続いていくでしょう」事故から六年、元喜君が命を奪われた上川僑交差点の信号は、今も当時のままである。 報道記事目次へ |