M2 1993年6月12日 土曜日 アサヒタウンズ 多摩版  
                        榎戸友子記者 
両親が告発の写真展「信号はなぜあるの?」
青信号で渡ったのに 息子はなぜ死んだ
悲劇もうごめん 沈痛な叫び込めて

小学5年の息子を交通事故で失った両親が、写真展を開くことになった。回顧展ではない。横断歩道を青信号で渡っていたのに死ななければならなかったわが子の事故を振り返り「歩行者信号が青だったのになぜ事故が起きたか」を徹底的に突き詰めた写真展だ。「二度とわが家のような悲劇を起こさせないでほしい」という両親の沈痛の叫びがこめられている。「徳道智元善童子『信号はなぜあるの?』」と名付けたこの写真展は、13、14日、JR八王子駅ビル内の8階市民ホールで開かれる。
「事故」と真正面に取り組む
信号システムの見直しを迫る 
なんなんだ!父親絶句
この事故は昨年11月11日午前8時、八王子市上川町の秋川街道「上川橋」T字路交差点で起こった。上川口小5年(当時)の長谷元喜(はせげんき)くんは登校途中だった。先を行く妹の友姫(ゆうき)ちゃんを追って、歩行者用信号を渡り始めた。そこへ左折のダンプ。危ない!周りの人がそう思ったときには、元喜くんはダンプに巻き込まれていた。頭蓋骨粉砕骨折。即死だった。
何なんだこれは−事故現場に駆けつけた父親の智喜さん(40)は怒りに震えた。息子は、ちゃんと青信号を渡っていたじゃないか。慎重主義で事故にあうなんて考えられない子だったのに。
悲しみに沈む長谷さん夫妻に元喜くんの着ていた服とランドセルが警察から返ってきた。焼き捨てようと思った。そのランドセルの中から小さなメモ書きが出てきた。
事故前夜元喜君が自宅で考えたクイズのメモだった。
『信号はなぜあるのか A(答え)信号がないと交通事故にあうから』
小さなメモで発奮
長谷さん夫妻が、この事故を自分たちだけの悲しみに終わらせてはだめだと奮い立ったのは、このメモがきっかけだった。「悪いのは息子を見落としたダンプ。だけどダンプだけが裁かれたところで、同じような事故は決して減らない」智喜さんは、写真展を開く決意をした。事故の一週間後には、自分の目で事故現場を正視しようと、カメラを持ち出した。息子の葬式も、位牌も撮った。事故現場も、息子をひいたダンプも撮った。撮りながら「なんでこんなことまでしなけりゃならないのか」何度も泣いた。息子を思い出すのはつらかったが、「親として息子に何かをしてやらなくてはというかりたてられるような気持ち」でシャッターを切った。
事故から7カ月、写真展をめざす智喜さんのなかで、いつも心から離れなかったのが「歩行者用の青信号」のことだった。ほんとうに安全だといえるのか− 事故後、交通事故の新聞記事を拾い集めた。元喜くんと同じように青信号を渡りながらの事故も少なくはなかった。警視庁や消防庁の資料から、過去の交通事故のデータも採った。毎年、同じような件数で、横断歩道上での事故が起きていた。
人より車の流れ優先
「歩行者用信号が青でも、右折の車、左折の車か横断歩道を横切ってくる。つまり歩行者はその車たちに命を預けているようなものなんですね」と智喜さん。まして元喜くんが事故にあった交差点は、ダンプなどの車の往来が激しく、人の流れより車の流れか優先されがちだ。「このまま放っておけば、次の犠牲者が必ず出ます」だからこそ、長谷さん夫表は写真展で信号システムの見直しを訴えたいという。歩行者が横断歩道を渡っているときには、車の信号がすべて(直進、右折、左折も)赤になるような信号(例えぱスクランブル交差点、押しポタン式信号、八王子市中山にある車両全赤信号など)に変えること、どうしても車と人を交差させなくてはならない交差点は、危険なことを示すために歩行者用信号は、青でなく黄色にすること。「こんな信号だったら、今でも元喜は生きていただろうに」と母親のかつえさん(40)。両日、会場では「信号を見直そう」という趣旨の署名を集める予定だ。たくさん集まったら、警察など行政へ働きかけていきたいと夫婦は考えている。
(榎戸友子記者)
【写真1】元喜くんを巻き込んだダンプの車輪。逃げ出したくなる衝動にかられながら父親の長谷智喜さんは、この1枚を撮った
【写真2】昨年の夏休みの元喜くん。右は妹の友姫ちゃん。仲のいい兄妹だった
【写真3】歩行者信号は「青」だったのに、なぜ元喜くんは死ななければならなかった?
    (写真はいずれも長谷智喜さん提供)


M3 1993年(平成5年)6月13日(日曜日) 讀賣新聞 


青信号で横断中なぜ事故に・・・
改善求め写真展
長男亡くした両親 きょうあす八王子で


 青信号の横断歩道上の交通事故で小学五年の長男を亡くした八王子市内の両親が、「青信号は必ずしも安全ではない」とし、歩行者と車が青信号で同時に進行する現在の信号システムの危険性を訴える写真展「信号は、なぜあるの?」を、十三、十四の両日、JR八王子駅駅ビルの市民ホールで開く。歩行者が横断中は交差点への車の進入をストップするよう、信号システムの改善を訴え、署名も集めるという。この両親は同市上川町、病院職員長谷智喜さん(四○)と妻かつえさん(三九)長男で市立上川口小五年生だった元喜君(当時十一歳)は、昨年十一月十一日朝の登校途中、自宅近くの丁字路交差点の横断歩道で、左折のダンプにひかれて即死した。交差点の歩行者用信号と車両用信号
はともに青で、八王子署の調べでは、ダンプ運転手が元喜君をよく見ていなかった。
「青信号なのにどうして子供がひかれたのか」と納得できない長谷さん夫婦は各地の交差点の事故例などを調査して同様の事故があまりにも多いことに気づき、
「歩行者と車が青信号で同時に進入する現在の信号システムでは、歩行者の安全は運転手の注意次第」とし、信号のシステム自体を変えられないかと考えた。
 写真展では、家族のスナップや事故現場などの写真、交差点についての問題提起のパネル約六十点を展示、交差点事故の資料など
も配布する。また、歩行者が横断中は、スクランブル交差点のように車をすべて止めることなど、三点について信号システムを改善するよう署名を集め八王子署長に提出する予定。
 智喜さんが警察庁の資料を基に調べたところ、平成三年に横断歩道上で事故で死亡した人は全国で八百七十人。智喜さんは「このうちかなりの人が青信号で事故に遭っている」と推測。
五十嵐英樹記者


M4 1993年6月26日 土曜日 アサヒタウンズ M4


なぜ息子は死んだのかー長谷さん夫妻の告発の写真展
1000人を超す来場者 今月末まで署名受付け


「青信号で横断歩道を渡っていたのに、なぜ息子は死んだのか−」。長谷智喜さん・かつえさん夫妻(八王子市上川町2992−5)による告発の写真展が、13、14日、八王子駅ビル内の市民ホールで開かれ、l253人が会場に訪れ、写真やパネル展示に見入った。写真展では、事故で亡くなる前の元喜(げんき)くん(小5)の生いたちの写真から、事故現場や、事故を起こしたダンプ、葬儀の写真など約50点が並べられ、そのショッキングな移りざまに、立ちつくす人もいた。「今の歩行者用青信号は安全とはいえない。わが家の家族の不幸をくり返さないためにも、歩行者が横断するときには、車の通行がすべて赤になるような歩行者優先の信号システムに替えるべきだ」という長谷さん夫妻の呼びかけに大半の人が著名した。なかには職場や近所でもっと署名を集めてくるからと申し出る人、「写真展には行けないが、同じように〃青信号〃に疑問をもっていた〕という青梅市内の共同保育グルーブからの署名の申し出もあった。元喜くんの通っていた八王子市立上川口小学校の向山幸雄校長も会場につめ「長谷さん夫婦の呼びかけには、全教職貝で協力したい」PTA会長の高野誠さんも「信号機はもちろん、道路や河川の安全性を考えた息の良い運動を、八王子市全体で取り組んでいけたらと思っています。「こういう写真展を開くのは親としてはつらかったが、思いきっていろいろな人の目に直接訴えられてよかったと思っています〕と父親の智喜さん。
6月末まで署名(15日現在で約l5OO人の署名が集まった)を受け付け、その後、八王子讐察署へ出向き、信号システムの見直しを訴えることにしている。
榎戸友子記者
【写真】 現場写真などに見入る入場者

M5 1993年(平成5年)7月13日 火曜日 毎日新聞 大石雅康記者
探信音ー青信号

 抜けるような秋晴れの朝だったと記憶している。東京都八王子市上川町の病院職員、長谷川智喜さん(40)はいつも通り、マイカ−で自宅を出た。昨年十一月十一日午前八時すぎのことだ。途中、赤色灯を回しながら急行するパトカー、事故処理車とすれ違った。勤め先に着くと、思いもかけぬ連絡が入っていた。息子が大型トラックにひかれ、死んだ。
長谷さんが自宅を出たころだった。小学5年生の長男元喜君は登校路の交差点の横断歩逆で後方から左折してきた大型トラックに巻き込まれた。
信号は青。車は交差点内を左折してもよいが、横断歩道の歩行者を優先させなければならない。運転手は、元宮君を見落とした。「単純な」過失だった。事故は翌朝の毎口新聞多摩版に十六行の記事で報じられた。長谷さんは、身を切られるような思いで遺品を手にした。路上にたたきつけられたランドセル。教科書、ノートとともに、手書きのカードが出てきた。〈信号はなぜあるのか〉〈信号がないと交通事故にあうから〉   
 児童会の催しで使うつもりだったクイズらしい。何という皮肉だ。長谷さんはカードに記された息子の文字を見詰め統けた。
四十九日の法要を区切りに、行動を起こした。現場に何度も行き、目撃者たちに会い、事故を精密に再現した。やはり、息子には何の落ち度もなかった。図書館に通い、交通事故に関する文献を読みあさった。横断歩道の死亡事故は企体の六17%で、毎年八百人前後が犠牲になっていることが分かった。車同士も含めて交差点の死亡事故は全体の四〇%台で、毎年ほぼ一定している…。
毎夜ワープロに向かい、[報告書」を作った。交差点が青信号であっても、統計的に今の「歩行者優先原則」だけでは、必ず一定の犠牲者を生む。せめて、歩行者青信号の時は全方向の車を止めるスクランブル方式に切り替えるべきだ。少なくとも毎月二十人前後の命が失われなくてすむ−。
「効率主義」につかった今の世の中で、その声はあまりに小さい。だが、先月十三、十四の両日、八王子のデパートの一角を借り、できたばかりの報告書や遺品のパネル写真を掲げた。長谷さんに共鳴する署名は千五百を数えた。〈信号がないと交通事故にあうから〉。青信号を信じた元喜君が残した小さな「告発」は、少しずつ、波紋を広げている。(石)

M6 1993年(平成5年)7月16日 金曜日 読売新聞 多摩
                      五十嵐英樹記者

「歩行者守る信号を」
長男事故死で長谷さん 1万7000人署名添え要望


 青信号の横断歩道での事故で、昨年十一月、小学五年生の長男を亡くしたのをきっかけに、「青信号は必ずしも安全ではない」と、歩行者優先の信号の設置を訴えて写真展を開き、署名運動を進めている八王子市上川町、病院職員長谷智喜さん(四○)が十五日、約一万七千人の署名を添えて、警察庁長官と八王子署長あての要望書を同署に提出した。要望書は、死亡した長男元喜君(当時十一歳)が在学していた市立上川口小の向山幸雄校長、同校PTA会の高野誠会長、上川連合町会の馬場信一会長らの連名で@事故現場の上川橋交差点のように歩行者が少なく車両が多い郊外の交差点信号を歩行者が横断中は車両の進入を全面的に禁止する押しボタン式信号に変えるA青信号でも必ずしも安全でないことを一般の人にも知ってもらうため、歩行者信号のあり方を見直すーなどを求めている。
同署には、向山校長らも同行し、長谷さんは「惨事を二度と繰り返さぬよう対処して欲しい」と訴え、応対に当たった高野正治交通課長は、「善処していただけるよう本庁に報告します」と答えた。長谷さんは妻かつえさん(39)とともに「人青、車青信号をなくす会」を作り、六月に事故現場などの写真展を開催、これをきっかけに上川連合町会など地元住民らの協力を得て、署名も市内で約九千六百人、八王子以外の都内から約五千二百人、他府県からも約二千百人分が寄せられたという。長谷さんは「歩行者が少ない交差点なら、信号の仕組みを変えても車の流れに影響が出るとは思えない。運転手のマナーだけでは事故は防げないので、信号のシステム自体を変えねば」と話していた。

M7 1993年7月31日土曜日 アサヒタウンズ 多摩版 榎戸友子記者

第2第3の犠牲者出さないために
信号改善に1万6000人署名
長谷さん夫妻が八王子警察署長に提出


 歩行者の安全が確実に守れる信号(人・青、車・全赤)への改善を要求して運動を続けている長谷智喜さん、かつえさん夫妻(八王子市上川町)が15日、八王子警察署を訪れ、信号システム改善の要望書と、集まったl万636l人の署名を、警察庁長官、八王子警察署長あてに提出した。長谷さんは、昨年11月、当時、上川口小学校5年生だった長男、元喜(げんき)くんを交通事故で亡くした。青の歩行者用信号を渡っていたのに、ダンブにはねられ死んだわが子の事故のことが頭をはなれず「このままの信号システムだったら、必ず第2、第3の犠牲者が出る。人が渡っているときには、車の信号は全部赤になるような信号にしないと」と奮い立ち、7月半ば八王手E駅ビル内で、告発の写真展「なぜ信号はあるの?」を開催・多くの反響を呼び、賛同者の署名が集まった。その後も知り合いの輪が広がり、15日までに1万6361人もの署名が集まった。当日は、向山幸雄・上川口小校長、高野誠・同小PTA会長らも同行。「ぜひとも信号システムの見直しを」と訴える長谷さんに、八王子警察署では「皆さんの気持ちはよくわかりました。本庁と連絡をとって善処したい」と答えた。多くの人たちの輪で、盛り上がったこの運動に対し、長谷さんは「息子が事故にあった信号だけでなく、他地区の信号機のありかたも見直すべきだと思う」と言っている。
【写真】 分厚い署名用紙を手渡す長谷さん夫妻(中央)

 

M9 1993年9月18日土曜日 アサヒタウンズ   M9榎戸友子記者

青信号は決して安全ではない
歩行者用信号の改善を


長谷さんが警察に要望している一
「歩行者用信号の改善要望」
基本的に、歩行者信号が青のときには、右折車も左折車も入ってこないような車両信号がすべて赤になる信号システムにしてほしい(全国の危険な交走点をできる限り、この方式に)。また事故のあった上川橋交差点を、人が少なく車が多いモデル交差点として、押しボタン式の信号(歩行中は車両信号が全部赤になる)に改善してほしい。
この悲劇を繰り返さないで
長男の交通事故死で告発の写真展開いた長谷さん夫妻
 歩行者用信号が青だったのに、なぜ息子は死んだのか−−小学5年生の長男の交通事故死をきっかけに、「青信号は、決して安全ではない」と告発の写真展を開いた長谷智喜さん(40)、かつえさん(40)夫妻・アサヒタウンズ6月12日付で紹介した写真展だが、この写真展をきっかけに、長谷さんの呼びかけは大きく広がり、各地からたくさんの署名が寄せられた。自分の子供を亡くすという悲しみのどん底にありながら「二度とわが家のような悲劇を繰り返さないでほしい」と立ち上がつた長谷さん夫妻への共鳴の声も多い。写真展から3カ月。その後の様子を取材した。
(榎戸友子記者)
【写真1】事故現場の八王子・上川橋交差点。歩行者信号は青だった
【写真2】去年の夏の元喜くん
【写真3】写真展を見に来た人から、たくさんの署名があつまった
【写真4】ショッキングな写真に涙ぐむ人もいた(写真展で)交差点は恐ろしい障害者の横断は命がけ
要望に賛同の声 他府県からも1万7000人の署名
写真展以降、長谷さんのもとには、1万6811人の署名が集まった。「歩行者が信号を渡っているときには、車両信号がすべて赤になる安全な信号に改善してほしい」という長谷さんの要望(別項参照)に、多くの人が賛同の声を寄せたのだ。多摩の各市や都内、また他府県からの署名もあった。長谷さんが7月15日、八王子警察署長、警察庁長官あてに要望書と一緒に提出した署名簿は、20センチほどの厚さがあった。その後も署名は続き、長谷さんは7月末にも450人分の追加署名を提出、現在も署名集めを続けてくれる人たちがいるという。「こんなに集まるなんて予想していませんでした。警察へ要望に行くときも、この1万7000人の署名がどれだけ心強かったことか」と長谷さんはいう。
たくさんの手紙も
署名とともに、たくさんの手紙も送られてきた。長谷さんと同じように、子供を交通事故で亡くした人もいた。30年前に息子を亡くした神奈川県のNさんからは「とても他人事とは思えません。署名も協力します。ほかに何か役に立つことはないでしょうか。小平市内の男性からは「私も青信号を渡っていて危険な目にあった。警察にかけあったが、相手にしてもらえなかった〕。八王子市内の肢体障害者からは長文の手紙が届いた。「歩行者の青信号は決して安全ではないという長谷さんの考えに同感です。私たち肢体障害者にとっても交差点は恐ろしい。健常者なら苦もなく渡れる交差点を、われわれは2〜3倍の時間がかかります。健康な人には分からない苦労をしながら命がけで渡ります」
警察からの回答はなく犠牲者は続く
全国規模で運動展開を
長谷さんの長男元喜くん(当時、八王子上川小5年)の交通事故は〃魔の一瞬〃の出来事だった。昨年11月11日午前8特、八王子市の北西にある秋川街道、上川橋交差点(T字路)で起きた。快晴の朝。妹の友姫ちゃんを追って、歩行者信号が青になった横断歩道をまん中まで進んだとき、元喜くんは左から突っ込んできたダンプにひかれた。即死だった。「青信号だったのになぜ、ひかれたのだ」「元喜のような慎重な子供が、なぜやられるのか」長谷さんにとつて、事故は納得のいかないことだらけだった。
原因を徹底杓に究明
長谷さんの家のまわりは、ダンプの往来が激しい。交通事故が心配で、元喜喜くんには8歳になるまで自転車に乗せなかった。自転車に乗り始めたときも、父親自ら、近くの神社に行って安全な乗りかたを教えたほどだ。「青信号でも注意するんだぞ」は両親のロぐせ。元喜くん自身も、友だちが街道を自転車でスイスイ走るのを見ながら、自分は車のこない農道を走るというタイプの子供だった。息子の事故後、新聞記事を注意して見ると、なんと信号機のある交差点での事故が多いことか。過去の交通事故データーを探ると、その40%以上が交差点内での事故だった。毎年同じような比率で同じような事故か起きている。「ダンプの運転手の不注意を責めるだけでは、この種の事故は必ず繰り返されるだろう」長谷さんは、写真展を開くことを決心した。息子の交通事故がなぜ起きたのかを、多くの人に見てもらい、青信号の盲点などその原因を徹底的に突きとめたいと思ったからだ。6月半ぱ、八王子駅ピルて開かれた写真展は大きな反響を呼んだ。生いたちの写真、事故現場の写真、そして葬儀の写真も。たつた2日間の開催だったが、l2OO人以上が訪れ、そのショッキングな有り様に息をのんだ。長谷さんはもともと写真が趣昧で子供の写真をたくさん撮っていたが「写真は楽しい思い出を写すものだったのに、こんなときに役に立つとは・・・」と話す。
写真展を機に、奥さんと2人で「人青、車青信号をなくす会」をつくった。写真展から3カ月。長谷さんは、交通事故で家族を亡くした何人かの人と知り合った。千葉県内の「被害者遺族の会」のメンバーとも連絡がとれた。東京高裁て審理中だったダンプの運転手の裁判にも裁判長あてに2度の上申書を書いた。8月半ば、運転手には懲役10カ月の実刑判決が下りた。
【写真5】元喜くんを巻き込んだダンプ。運転手には10カ月の実刑判決がくだったが・・・
交通課では検討中
その一方で、署名簿を提出した警察からは、まだ何の回答もない。八王子署では、要望書と署名をすぐに警視庁交通課へ送ったが、検討中だという。「今の信号システムは、専門家か多くのデータをもとに最良のものとして編み出したもので、署名があるからといつて一朝一ダに変えられるものではない。要望書への答えが出るには、時間が必要」と八王子警察署の高野正治交通課長。
やらせてはいけない
長谷さんは、今も新聞を見ると、交通事故の記事が気になる。つい先日も川崎市内で母子4人が、横断歩道ではねられ、5歳児が死亡、3歳児と1歳児か重体という記事が出ていた。長谷さんは直感的に「歩行者信号の青を渡っていての事故」と思った。「こうしている間にも、息子と同じような〃やらせてはいけない事故〃の犠牲者が出ている」と長谷さんはジリジリとした気持ちでいる。もっと全国的な規模でこの運動を展観していく必要性を感じ始めた。多くの人たちに訴えるために、写真集を作ってみようかとも思っている。「たいへんなことをやり始めたと思っています。でも、私は息子に、いつも自分の信念を曲げるな、やりたいことはやり通せと言ってきました。それを私が実行しているたけなんです」と長谷さん。この夏に建てたばかりの元喜くんのお墓に、せめていい報告をしたいと、長谷さん夫妻は心から願っている。他人事とは思えない・・・
青梅のお母さんグループから多数の署名
「何度も怖い経験」
「少しでも声をあげないと」
長谷さんのもとに送られてきた数多くの署名−−青梅市内で活動中の共同保育グループ「紙ひこうき・コアラ」(代表・竹尾由紀子さん)も、参加したひとつのグループだ。長谷さんとは面識はないが、「とても他人事とは思えない」「何かおかしいと思っていたけど、信号システムを見直すというところまで考えつかなかった」とメンバー。団結して署名を集めた。
周二回、市内で活動
「紙ひこうき・コアラ」は、0〜4歳の子供をもつ20〜40代のお母さん10人がメンバー。周2回、市内の公園などに集まって活動している。その一人の菅原美和さん(35)が長谷さんの写真展をアサヒタウンズで知り「小さい子がいるので写真展には伺えないが、ぜひ署名に協力したい」と長谷さんに申し出たのが、最初だった。「家の近所でも、1年半ほど前、小学生が交差点を自転車で渡りながら左折車にひかれて亡くなるという事故があったばかり。私も子供を連れていてこわい思いを何度もしているので、共同保育の人たちにも呼びかけて署名を集めようと思いました」グループのお母さんたちも同じような思いだった。「子供と手をつないで横断歩道を渡っていると、急に曲がってくる右折車、左折車にひやりとさせられることがとても多い」(粟村寿子さん)「家の近くに危ないと思っているカーブがある。せめてミラーだけでも付いていたら」(宮川明子さん)「車を運転する側も気をつけないと、私もいつ加害者になるかもしれない」(竹尾由紀子さん)。もう少し大きい子供がいるお母さんたちは「自転車で出て行くと、帰ってくるまで生きた心地がしない、といって家につなぎとめているわけにもいかないし・・・」
女性の方が積極的
現代社会は、交通事故死のニュースに〃不感症〃になったといわれるが、小さな子供を抱えるお母さんにとっては、いつも交通事故の危険性とは隣合わせなのだ。集めた署名は50人。もう少し集められる予定だったが、日数が限られていたため、思うようにはいかなかった。署名を集めてまわると、女性はすぐに同意してくれる人が多かったが、男性のなかには「車の信号が全赤になると、交通渋滞が心配」という声も聞かれた。「すぐに信号システムを変えるというのは難しいかもしれない。でも、危険と思われる個所はたくさんある。それを見直してもらうことはできないのか。こういうことは、黙っていては何にもならない・少しでも声をあげていく必要があると思った」と菅原美和さん。「署名をした後、横断歩道を渡るときには、長谷さんの息子さんの事故を思い、一層気をつけなくちゃという気持ちが強くなった」と菅原博子さん。テレビでも報道された長谷さん夫妻のニュースを見て、思わず涙が出たというメンバーたち。自分の子供を自分では守りきれない今の交通戦争。長谷さんの訴えるような信号システムが実現すれば、危険な目から少し解放されるかもしれない−−と小さな期待を抱いている。

M10 H5.11.12 讀賣新聞 分離信号要望の警視庁回答 
                     五十嵐英樹記者

歩行者の少ない交差点
信号は押しボタン式に
警視庁に要望


 八王子市上川町の病院職員長谷智喜さん(四○)夫妻らが作る「人青、車青信号をなくす会」などは十一日、歩行者が少ない交差点の信号は押しボタン式信号にして、歩行者がいる時は車両を全面ストップするような信号システムに改めるよう、警視庁に要望した。
 昨年十一月に自宅近くの上川橋交差点で長男〈当時小学五年生)を事故で亡くした長谷さんらは、今年七月、住民約一万七千人の署名を添えて、警視庁と八王子署にシステム変更の要望を提出した。しかし、回答がないため、信号管理者の警視庁に出向いた。要望に対し、警視庁側は「歩行者と車両が立場を尊重し、互いに注意し合う現在の交通ルールの考えになじまない」として、変更に無色を示した。


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M12 1994年(平成6年)1月29日土曜日 朝日新聞  山浦正敬記者

 
交差点歩行者優先に
事故で長男亡くした両親ら
八王子署に要望書提出


八王子市内の三差路で九二年秋に交通事故で長男(当時11)を失った両親らが二十八日、八王子署を訪れ、事故現場の信号機システムの改善や市内の危険な交差点の改良を申し入れた。同市上川町、病院職員長谷智喜さん(四○)とかつえさん(四○)。小学五年生だった長男は登校中、自宅近くの三差路の横断歩道で、左折するダンプカー、にはねられ死亡した。両親は「歩行者用信号は青だったのに・・・」との思いから、「人青、車青信号」をなくす会をつくり、歩行者優先の交差点への改善を求める運動に取り組んでいる。歩行者用信号機が「青」の場合は車用信号機がすべて「赤」になる「分離信号機」の導入などを求めるもので、警視庁に働きかけている。
この日、同署を訪れた両親と地元町会、小学校関係者らは、高野正治交通課長に賛同者の署名を添えた要望書を手渡した。
長谷さんは「生きている子どもたちを守りたい。歩行者は交通弱者で、マナーだけでなく、もっと信号機など構造的な見直しが必要だと思う」と話した。


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M13 1994年1月29日 東京新聞  梶 記者
 

分離信号機の設置を
横断中に長男亡くした八王子の長谷さんら
5回目の署名、要望書提出

s
 スクランブル信号機を、車の交通量は多いが歩行者の少ない郊外の交差点に取り付けて−との要望書が二十八日、八王子署に提出された。歩行者が青信号のときは左折車、右折車を含む全車を赤信号にする、いわゆる分離信号機。
八王子市上川町の病院職員、長谷智喜さん(44)らにより八人の代表署名で提出された。人に優しく安全な道路を求め、要望書および署名の提出はこれで5回目になる。
 平成四年十一月、長谷さんの長男で小学校五年生の元喜君が登校途中自宅近くのT字路、秋川街道上川橋交差点でダンプカーにひかれ、亡くなった。青信号で横断歩道を渡っている最中だった。これが要望書提出のきっかけとなった。元喜君が通っていた市立上川口小学校の通学路上での事故で、長谷さんや向山幸雄同小学校校長(59)PTA会長などが分離信号機設置を求め、署名活動を始めた。これまでに周辺自治体、同市肢体障害者福祉協会など、二万人を超す署名が集まった。今回は前回からの追加署名を添え、上川橋交差点、16号八王子バイパス交差点、その他の危険な交差点の分離信号機設置を要望した。
 事故以来、長谷さんは図書館に通い、交差点について学んできた。「青信号で歩いているときの事故は、郊外に多いんです。上川橘交差点では近くに採石場があり、ダンプなど車両は八千台が通過する。逆に歩行者は七十人で、車は歩行者などいないと思ってしまう。押しボタン式にするなど工夫し、分離式信号にしてほしい」と話す。平成四年十一月から三回にわたり、同署に要望書を提出してきたが、同署から警視庁交通管制課からの返答はなかった。そのため、四回目の提出では警視庁にも出向いた。回答は、「分離信号にすると交通が混雑し、わき道に
入る車が出てくる。歩行者も青になるのを待ちきれずに信号無視をし、より危険になる」などの理由で、「現状では直す必要はない」とうものだった。長谷さんは「渋滞緩和、効率優先の交差点ではなく、歩行者の安全を優先させてほしい。署名者がいる限り、今後も運動を続けたい」と話している。
【写真1】八王子署で高野交通課長に要望書を渡す長谷さん(向かって左)ら
【写真2】長谷さんの長男が事故に遭った上川橋交差点=八王子市で


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M15 1994年2月12日 土曜日 アサヒタウンズ 
歩行者優先の信号機システムへの改善
再度、八王子警察へ要望書を提出

信号システムか改善されなけれぱ、息子のような死亡事故は再び起こるーと、歩行者優先の信号機への改善運動を進めている八王子市上川町、長谷智喜さん(40)、かつえさん(40)夫妻ら6人が、l月末、八王子警察署に再度の要望書を提出した。長谷さんの長男、元喜くん(当時、八王子・上川口小5年)は一昨年11月、歩行者用信号が青の横断歩道を渡りながら、左折してきたダンブにひかれて死亡・長谷さん夫妻は「いまの歩行者用信号の多くは、たとえ青であつても、左折車、右折車が横切り、歩行者にとって決して安全とはいえない。人か渡っているときは、車両信号は全部赤になるような信号に変える必要がある」と、昨年6月以降、写真展、署名集めなどを展開してきた。
 
車の流れだけを優先
今回の八王子署への再要望書の提出は、昨年7月に次いで3回目。その間にも、元喜くんの一周忌の昨年11月11日には警視庁交通管制課へ直談判。そのときの「事故現場の上川橋交差点の信号機を今は見直す予定はない」という警視庁側の回答に、長谷さんらは納得できず、再度の八王子署への要望書提出に踏み切った。運動開始以来、長谷さんのもとに集まった署名は、2万l426人にもなり、追加署名も併せて提出した。今回は上川橋信号の改善だけでなく、ほかの危険な交差点の見直し、八王子市左入町の16号八王子バイパス交差点の改善なども盛り込んだ。長谷さん夫妻に同行したのは、向山幸雄・上川口小学校校長、高野誠・同小PTA会長、馬場信一・上川口連合町会会長、秋元誠一・上川地区子供育成団体連絡協議会会長。
弱者の安全信号を
信号機の改善運動は、上川口地区を中心に八王子市内の26町会も賛同しており、少しずつ住民運動としても根づき始めている。「PTAでも、同じような事故が起きないように毎日、通学時には、交差点で旗振りをしている。2万人もの署名が集まっているのに警察はどうして動かないのか」と高野PTA会長・長谷さんは、上川橋交差点の交通量を調べたり、多摩地区各地の信号システムを調べ歩いているが「人が渡っているときには、車は全部赤になるような分離信号はところどころにある。車の渋滞にもつながらないと思っている。それにしても、今は車の流れだけを優先し、人の安全は見過ごされている。いろいろな事故事例を集めて、子供やお年寄りら弱者に安全な信号機の改善を貫いていきたい」といっている一
(榎戸友子記者)


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