毎日新聞 2000年12月2日 大阪
[やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道 1
大きな息を ふーっと吐いて
4歳の命は消えた
府道に横断歩道なく
交野市立くらやま幼児園の鷹觜庸紘(たかのはしのぶひろ)君が、自転車で府道を渡ろうとして、クルマにはねられ死んでしまったのは今年6月15日の木曜日だった。4歳と291日。「のぶ君」と呼ばれ、家族にも、友だちにも愛された短いいのちだった。
× × ×
「のぶが車にはねられた。もう、あかん」
交野市倉治4の鷹觜いずみさん(27)宅に、近くに住むいずみさんの父、川口三次さん(50)が息せき切って裸足で駆け込んできた。いずみさんの長男の庸紘君は、つい先程、三次さん宅の向かいの友だちの家へ、自転車で出かけたばかりだった。送り出す時、いずみさんは夕食の支度をしていた。
「ほな、行ってくる」
「行っといで」
庸紘君とは、そんな言葉を交わしたばかりで、いずみさんは、父の言葉が信じられなかったが、とりあえず、夫の電気工事業、重之さん(29)の携帯電話に連絡した。
× × ×
庸紘君がはねられたのは午後5時35分ごろ。現場は、自宅から100メートル余り離れた府道枚方大和郡山線。祖父の三次さん宅(いずみさんの実家)や向かいの友だちの家は、その府道を渡ってすぐの場所にあった。自宅から府道へ出る道は農道で、渡るところに横断歩道はなかった。最も近い横断歩道まで東へ230メートル余り。う回するには、あまりに遠い。庸紘君が府道へ出た途端、右から乗用車が走ってきた。
祖父の三次さんは、勤め先の枚方市内の鉄工所から車での帰路、事故を知った。自宅近くまで来ると、対向する路線バスが停留所でもないのに府道の真ん中で止まり、人だかりが。道路に、見覚えのある紫色の子ども用自転車が倒れていた。2歳の誕生日に、孫に贈った自転車。窓から見ると、庸紘君の小さな体が、路肩に横たわっていた。
後続車のじゃまになるため、とっさの判断で三次さんは、車をすぐそばの自宅に置きに帰り、妻の梅野さん(49)に事故を知らせ、現場へ戻った。
「のぶ、のぶ」。駆け寄って、救急車を待つ庸紘君に声をかけると、「ふーっ」と小さな口から大きな息を吐き出した。そして、口元はもう、動かなくなった。三次さんは娘のいずみさん宅に走った。裸足に気づかないほど、あわてていたし、うろたえていた。救急車に付き添った梅野さんも、ひん死の孫に向かい「のぶ、のぶ」と名を呼び続けた。
京阪電鉄交野市駅近くの病院。仕事先から駆けつけた重之さんがICU(集中治療室)に入った時、庸紘君は医師の心臓マッサージを受けていた。胸を押すと、心拍数のモニターは反応したが、すぐ平らになった。その繰り返し。
「これ以上は、かわいそうです」
医師の言葉に重之さんは、うなずくしかなかったという。事故から2時間。午後7時34分、のぶ君のいのちの灯は、消えた。
× × ×
「のぶと一緒に、お友だちの家に行けば良かった」。いずみさんは、今も自分を責める。「出かけるのぶの顔もしっかり見ないまま、送り出してしまったことを、とても後悔しています。あれが、最後になるなんて……」
しかし、いずみさんには、庸紘君の妹で、生後4カ月(当時)の圭代ちゃんがいたし、圭代ちゃんをおぶって外出するには、電動車いすに乗らなければならなかった。いずみさんは脳性まひで、体に障害があった。 【村瀬達男】
(つづく=次回は6日に掲載予定です)
【写真】 七五三の記念写真でポーズをとる鷹觜庸紘君 1998年11月
【図】 事故現場図
毎日新聞 2000年12月6日 大阪
[やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道 2
「かーしゃん、ありがとう」
【写図】 のぶ君が自転車でか通った農道を、妹の圭代ちゃんを背負い電動いすで走る鷹觜いずみさん
「普通に結婚し、子どもを産むのが夢でした。夢がかない、のぶの将来を楽しみにしていました……」
幼稚園児だった長男庸紘(のぶひろ)君(当時4歳)を今年6月、交通事故で亡くした鷹觜(たかのはし)いずみさん(27)=交野市倉治4=には、脳性まひの障害がある。1人で歩けるものの、荷物があったり長い距離の場合は、電動車いすを使うことも多い。
いずみさんは姉夫婦の紹介で電気工事業をしている重之さん(29)と知り合い、1995年5月に結婚した。その年、庸紘君が生まれた。
妊娠の経過は比較的順調だった。いずみさんは、自分が自然分べんで生まれた際の事故のせいで障害者となったため、帝王切開を選んだ。2966グラムの元気な男の子が生まれ、ホッとしたという。
2歳も半ばのころ、庸紘君が突然「かーしゃん(お母さん)、いつもいつも、ありがとう」と言い、いずみさんは驚いたことがある。料理もよく手伝ってくれた。
「私の体がこんなやし、のぶは、常に『ぼくがお母さんを守らんと』と思ってたみたいです」
4歳になると、2キロほど離れた店に自転車で、パンや牛乳を買って帰るおつかいもした。店に牛乳がないと、「これにしたよ」とヨーグルトを買ってきたことも。散髪も1人で行った。今年2月、長女圭代(かよ)ちゃんも生まれ、妹の仕草のひとつひとつをやさしく見つめるお兄ちゃんだった。そんな矢先の事故だった。
× ×
事故現場は、祖父母の家や友だちの家に行くため、1日に何度も庸紘君が渡る府道だった。府道沿いの歩道には、高さ70〜80センチの植え込みがあった。事故のあと、その植え込みが引き抜かれたのには、わけがあった。 【村瀬達男】
(つづく=次回は10日掲載予定です)
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毎日新聞 2000年12月10日 大阪
[やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道 3
引き抜かれた植え込み
【写図】 府道の植え込みは庸紘君の事故後引き抜かれた。
鷹觜庸紘(たかのはしのぶひろ)君(当時4歳)は、幅約2メートルの農道から、幅約7メートルの府道に自転車で出ようとしたところを、右側から来た乗用車にはねられた。自転車の前輪と乗用車の左の前部が、最初に衝突していた。
庸紘君が渡る府道に沿って、幅約3・5メートルの歩道がある。
歩道には1メートルほどの幅で、街路樹の植え込みがあった。排ガスに強いとされるアベリアだ。
枚方署の調べでは、事故当時、うっそうと小枝の葉が繁り、高さ70〜80センチに伸びていた。のぶ君は身長1メートル8センチ。同署によると植え込みは自転車に乗った庸紘君の顔とほぼ同じ高さだった。
事故直後から、現場周辺の住民の間で、「のぶ君の目の高さでは、右側からの車は直前まで見えなかったのではないか。このまま放っておくのは危ない」という声が相次いだ。
地元住民で作る町会の委員、中角正雄さん(71)=交野市倉治5=は悔やむ。「子どもにとって、わき道から出て来る付近の植え込みは危険だということに、なぜもっと早く気づかなかったのか」 事故から11日後の6月26日、府枚方土木事務所は、住民や枚方署の要望で、現場付近の植え込みを約30メートルにわたって引き抜いた。同事務所は北河内7市の府道(延長211キロ)の植え込みを毎年6、8、11月の年3回せん定しており、事故現場も6月末までに刈る計画だったという。
庸紘君の両親は、道路に出るときは、危ないから止まって右左を見るように、いつも言っていた。世のどの親もそうだろう。しかし、子どもの目の高さになった時、視線を妨害するものには大人は意外と気づかない。
庸紘君の祖父、川口三次さん(50)は「植え込みは危ない。こまめに刈ることが無理なら、ガードレールにすべきだ」と訴える。
【村瀬達男】(つづく=次回は13日に掲載予定です)
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毎日新聞 2000年12月13日 大阪 [やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道/4
犠牲者出てから動く行政
【写図】 写真庸紘君の事故後にできた横断歩道と標識
「『(死者)1万人の交通戦争』と言われても、結局、クルマ優先の社会だから、子どもにとっての危険な個所が分からなかった」 亡くなった鷹觜庸紘(たかのはしのぶひろ)君(当時4歳)の地元の16町会で作る「倉治区」の区長を務める中角宇三郎さん(80)=交野市倉治6=は悔恨を込めて振り返る。農道から事故現場の府道に出る場所は、子どもの「死角」になるほど植え込みが茂っていたほかにも、問題があった。横断歩道がなかったのだ。
横断歩道のあるところまで行くには、東へ250メートルか西へ370メートル。つまり、620メートルにわたって横断歩道がないところで、しかも、府道は直線で車のスピードは出やすかった。
そんな場所だが、南側にはスーパーがあり、北側の住民が買い物で頻繁に府道を横断していた。
中角さんは事故5日後の6月21日、市を通じて、枚方署と府枚方土木事務所に横断歩道を設置するよう要望書を出した。同事務所は8月、府道の車が映るミラーを設置。同署が9月27日、横断歩道と、夜間に見えやすい自光式の横断標識を設けた。
横断歩道にしろ、信号機にしろ、この事故現場のように、申請から3カ月で新設されたのは早いケースという。実際、現場の東約240メートルにある変則6差路は、既に2年前、中角さんが2896人の署名を添え、信号機設置の要望書を出したのに、今もって実現していない。
「限られた予算だから、現に死亡事故が起きた所を優先せざるを得ない」。枚方署と府枚方土木事務所は、説明した。
「横断歩道ができたのは、死亡事故がきっかけだったというのは残念だ。でも、子どもの犠牲者は、これっきりにしたい」。中角さんは力を込めた。
しかし、やっとできた横断歩道にも、問題がないわけではなかった。 【村瀬達男】
(つづく=次回は18日に掲載予定です)
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毎日新聞 2000年12月18日 大阪 [やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道/5
「だれも渡らん」横断歩道
【写真】 庸紘君の事故後、作られた横断歩道。残念ながら利用者は少ないという
【図】 横断歩道現状図
「毎日ここに来とるが、だれ一人渡らん」
鷹觜庸紘(たかのはしのぶひろ)君(当時4歳)がはねられた交野市倉治4の府道。事故現場にできた横断歩道を指さし、近くの農家のお年寄りが苦笑した。
実際、利用している人はほとんどいないという。この付近で府道を渡るのは、市道から農道へ、あるいはその逆を行く人がほとんど。庸紘君もそうだった。ところが、横断歩道が実際に出来た位置は、両道を結ぶラインからは、かなり西へずれていた。
地元町会が事故直後、枚方署などに要望した横断歩道の当初案の位置は、もっと東側だった。しかし、同署は「ドライバーは横断歩道を過ぎると加速するという心理がある」と指摘。まさに庸紘君のはねられた場所で事故を起こす危険性があると難色を示した。
結局、町会は当初案より西へ約20メートルずらした場所に横断歩道を設置するよう要望書を出した。ところが、その後、同署と府枚方土木事務所の協議で、西から来た車には歩行者が電柱の陰に隠れる危険性があるという指摘が出た。同署はより安全性の高い場所を選び、要望書よりさらに西へ約10メートルの位置に横断歩道をつくった。結局、当初案より約30メートル西に。費用は標識やカーブミラー込みで136万円だった。
電柱を移設すれば、要望書通りの位置につくることは可能だった。しかし、時間も費用もかかり、今回の様に短期間での完成は無理だったという。
「わずかの大回りを面倒くさがる歩行者の意識を変えないと、事故は減らない」と同署は訴える。
しかし、「今度、のぶと同じような事故が起きた時、歩行者は『横断歩道を渡らないからだ』と責められるだろう」と話す庸紘君の父重之さん(29)の懸念もうなずける。 【村瀬達男】 (つづく=次回は21日掲載予定です)
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毎日新聞 2000年12月21日 大阪 [やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道/6
ゆがんだままの反射鏡
【写真】 事故後に設置された反射鏡。角度のゆがみは長い間放置されていた
4歳の息子の命を奪った交通事故から3カ月たった今年9月。交野市倉治4の事故現場を通りがかった鷹觜(たかのはし)重之さん(29)は、事故をきっかけに設置された直径60センチの2枚の反射鏡のうち、1枚の角度が大きくゆがんでいるのに気づいた。農道から府道へ出る際、左右の車を映す鏡だが、ゆがんでいたのは右の方。90度以上も角度がずれ、安全確認が出来ない状態だった。
この反射鏡は、農道から府道を渡ろうとしてはねられた庸紘(のぶひろ)君の事故の再発を防ごうと、大阪府枚方土木事務所が8月末に設置した。既存の電柱に取り付けたので費用は約7万円で済んだ。しかし、停止する場所から約10メートルも先で、高さ約3メートルの位置にあるため、気づかない通行人もいるという。
10月19日、枚方署がゆがんでいることを土木事務所に伝え、夕方に直された。「鏡に傷があった。歩道寄りに駐車したトラックの荷台のコンテナのようなものが当たってずれたのではないか」と土木事務所は話した。しかし、いつからずれていたかは不明という。
枚方署が9月27日、完成したばかりの横断歩道を撮影した写真に、偶然、角度のゆがんだ反射鏡が映っていた。少なくとも3週間以上ずれたまま放置されていたことになる。土木事務所は「チェックのためのパトロールは毎日している。しかし、主に路面の物や穴を点検するため、カーブミラーの異常に気づかなかった。申し訳ない」と釈明した。
「電気工事業をしているぼくはクーラーの取り付けミスをしたり、アフターケアを怠ると、仕事がもらえなくなる。行政は黙っていても仕事が来るから、こんな“お役所仕事”になるんですよ」。重之さんは話した。 【村瀬達男】
(つづく=次回は25日に掲載予定です)
毎日新聞 2000年12月25日 大阪 [やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道/7
「もっと詳しく真実を知りたい」
「自転車、もう少し前に出して」。10月27日、交野市倉治4の府道。大阪地検の検事と枚方署員が声を掛け合い、幼児用自転車を歩道から車道に少しずつ移動させていた。鷹觜庸紘(たかのはしのぶひろ)君(当時4歳)の死亡事故の現場検証。約30メートル東のパトカーの運転席に加害者の無職の男性(28)を座らせ、本来、どの場所なら自転車が見えるか、男性がどの位置で自転車に気付いたかなどを確かめた。
現場検証は、この日が4回目だが、検事が立ち会ったのは初めてだった。検証には両親も見守った。事故後、危険だとして引き抜かれた歩道の植え込みは、折りたたみの長机の上に防水シートをかけて高さ約70〜80センチに立てて再現された。
家族は、独自に現場検証したこともあった。横断歩道ができた3日後の9月30日。庸紘君の祖父、重信さん(60)=奈良県平群町=と父の重之さん(29)が加害者と保険会社に立ち会いを求め、「もっと詳しく真実を知りたい」と事故を再現していた。その時、重信さんは、妻暁美さん(62)と作った庸紘君の等身大の人形に、事故時の服を着せて再現に使った。
事故から半年たった今月14日。鷹觜さん宅に大阪地検から1通の封書が届いた。11日に加害者の男性を業務上過失致死罪で大阪地裁に起訴したとの通知だった。大阪地検が被害者対策として2年前から導入した「犯罪被害者等通知制度」による通知だった。しかし、起訴に至った経緯や判断は、文面からは分からない。
母のいずみさん(27)は「検察は法廷で起訴した理由を説明するのでしょう。でも、私たちは11月末に検察庁に呼ばれ、事情を話しただけです。どういう判断で起訴することになったのかを、遺族にももう少し丁寧に説明してほしい」と話した。
【村瀬達男】
【写真】庸紘君の自転車を使い現場検証する大阪地検の検事ら。植え込みは防水シートで再現された。
(つづく=次回は28日、掲載予定)
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毎日新聞 2000年12月28日 大阪 [やさしい街に]子どもとクルマ社会
のぶ君の道/8
「命の重さ」いつも心に
【写真】 妹、圭代ちゃんの誕生日を庸紘君はだれよりも喜んでいた。
【写真】事故当時、乗っていた自転車
4歳のかわいい盛りだった庸紘(のぶひろ)君を失い、母の鷹觜(たかのはし)いずみさん(27)=交野市倉治4=は、仏壇の前で1日中、泣き続けた。生後4カ月だった長女の圭代ちゃんに与える母乳も止まりかけた。
庸紘君がその時、自転車で遊びに行くはずだった友だちの女の子は、事故の後、母親に「幽霊っているの?」と聞いたという。母親が「どうして?」と尋ねると、「幽霊でもいいから、のぶ君に会いたい」。
しかし、鷹觜さん夫婦は周囲に励まされ、「娘を頑張って育てよう。のぶも喜んでくれる」と前向きに歩み出した。そして、出産や子育ては、脳性まひの後遺症のあるいずみさんにとって、とても大変なことだが、今ようやく、「もう1度、男の子を産みたい」と、思えるまでになった、と話す。
× ×
私は枚方署管内の事件・事故を担当しているのに、この企画の取材を始めるまで、6月15日夕に起きた庸紘君の事故を思い出せなかった。当時、取材をしていなかったためだ。翌16日の地域面で報じた新聞もあったが、毎日新聞には載っていない。社会面は参天製薬への恐喝未遂事件のニュースが大部分を占め、大阪の地域面は衆院選と主催する都市対抗野球の記事が約4分の3を占めていた。
枚方署の管内人口は枚方、交野両市で48万人に達し、府内64署で最も多い。全国でも最大規模だ。今年の府内の交通事故死者(26日現在)は361人で、うち管内は21人でワースト1だ。
多発する死亡事故に、私は「命の重さ」に対する感覚が鈍くなっていたのかもしれない。「これぐらい日常茶飯事じゃないか」と。
のぶ君の死とその周辺を追った今回の取材は、私にとっては自らを省みる取材となった。 【村瀬達男】
(おわり=次回は1月3日から新シリーズです)
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