陳 述 書 平成10年5月21日 裁判長 殿 平成七年(ワ)号二六〇八号 損害賠償請求事件
本件上告理由についての補足 本件上告における理由は、準備書面一において述べたとおりですが、原判決で特に不服とすることは、被告東京都の瑕疵がまったく問われていないことです。被告東京都の瑕疵につきましては、あらたなる証拠をもって反証、陳述させていただきます。 被告東京都の瑕疵をめぐる本件は「行政施行の是非で救える人の命」の問題につき、裁判長殿におかれましては十分な審理をお願い申し上げる次第です。 また、被告W、Y石産の身勝手な付帯控訴理由には、憤りをもって反論させていただきます。 第一、被告W、Y石産の付帯控訴理由について 本件の事故様態は、寸鉄おびぬ通学途中の息子(小五)が、自らの命を守ろうと信号待ちの後、青信号に従い横断歩道を進行したところ、圧倒的な殺傷力をもつ大型ダンプを運転中の加害者が、同じ信号待ちで継続して息子を目前の視野におきながらそれを見落とし、ウインカーもださず漫然と発進、その背後を襲うようにして左折蹂躙即死させたものです。私たちはこの事故を故殺行為と同様に感じ、我身が切り刻まれるような痛みと悲しみに堪え忍んでまいりました。 しかし、被告W・Y石産は、付帯控訴の理由三において 「その様態結果に於いて悲惨なものであるが、今日において世上発生している児童の殊更に特別な事情が存在する物ではない・・中略・・・これが経験則にまで昇華しているものと考える」 と他人事のように主張しております。いったいだれが悲惨な様態を作り出しこのような生き地獄を私たちに与えたのでしょうか。私たちは、加害者が、一方的な過失行為によって何の罪もない他人の子供を轢殺しその平和家庭を崩壊させてなお、その行為を棚に上げここまで破廉恥な主張をおこなうことを許すことはできません。 この主張は、自らの行為に反省の念もつぐないの気持も持たない者の主張であり、閉ざされがちな法廷の場において被害者および遺族の人権を無視する加害者本位の常套論と言えましょう。「交通事故にあっては、加害者がどのような過失をし、いかなる結果であっても殊更に特別な事情が存在するものではない」とする考えは、明らかに社会正義に反する主張であり原告ならずとも容認できるものではありません。被告らの付帯控訴理由は憤りをもって棄却を求めます。 第二、被告都の瑕疵について 一、被告東京都の責務 道路交通法、第一章 総則[目的]第一条 「道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する傷害の防止に資することを目的とする」 道路交通法は、道路構造や道路標識、信号制御等の営造物を正しいものとし、それらを担当行政が管制して交通の安全と円滑を図ろうとするものですが、本件事故では都の指導に従って営造物の正しい使い方を行い歩行者が命を奪われております。つまり車両から身を守ろうとする児童が都の指導に従いごく一般的な正しい横断方法を行っていたにもかかわらず、車両による一方的な事故で命を奪われていることを意味します。 正しい使い方をしても一方的に命を奪われる危険性が指摘される営造物は、行政努力の範囲で改善することが総則に謳われております。この事故発生の直接原因は、車両を運転する者の不注意によるものですが、人間の注意力が不確実ものであることは十分予測できるものであり、同種事故が繰り返し発生しているという事実は、不確実な人間の注意力を十分勘案せず営造物を運用しているからであると言えましょう。 私たちは、営造物である非分離信号交差点システムの環境下において、歩行者のみが右左折車両によって一方的死傷している事故が多発していた以上、いかにして歩行者の安全確保を整えていくかは、好むと好まざるとによらず、担当行政のつとめと考えております。したがって、歩行者事故を未然に防止しうる「分離信号」たる信号運用法を承知していながらそれを検討しようともせず、重大な歩行者事故発生頻度の高い当該交差点において非分離信号を漫然と容認していた都行政には、営造物の管理に瑕疵があったと考えます。 二、交通事故における「不確実な人の注意力」について 交通事故は、故意犯でなく過失犯です。故意犯であるならばその犯人を捕まえることにより再犯の防止ができます。しかし、交通事故での過失犯(加害者)は「不確実な人の注意力」によって発生するため過失犯を捕まえただけでは事故を確実に防止しえる状況にはないようです。「不確実な人の注意力」は別紙グラフに示されたとおり毎年同じ率の類似事故が発生いたします。 従って、交通の専門担当行政においては、膨大な同種事故のデーターが蓄積されていたことから、非分離信号交差点で定率に発生する同種事故の実状、非分離信号における歩行者の危険性を十分承知していたことと推測されます。 三、くりかえし発生する右左折事故について 二、で申し述べたとおり、交通事故の過失は類似した定率の事故結果をもたらしております。従って、都が各交差点に於ける危険度の違いを配慮せず全国一律に設置している非分離信号方式の交差点では、「不確実な人の注意力」にたよってその安全が保たれているため本件同様の右左折事故事が日常茶飯事のごとく繰り返し発生しております。 新たなる証拠 くりかえし事故の現実(一部)新聞記事 私は病院勤務という仕事がら、夜間の当直業務でこのような事故の患者さんの受け付けを行うことがあります。ある当直業務のときは十六時三十分から翌八時三十分までの当直業務で、たった六名の患者さんのうち、二名の青信号右左折事故を受け付けた日もありました。このときはたまたま加害車両がワンボックスや大型車両でなく普通車であったため被害者は軽傷ですんだのですが、大型車両の場合であったなら被害者は私の受け付け範囲外であったと思います。 ここでの被害者は、先の定率で発生する類似事故の被害者であることは言うまでもありません。なお、原告が知り得た比較的新しい右左折事故、二例の検証をご報告いたします。 新たな証拠書類 最近の左折事故例 (一)大井競馬場駅前交差点青信号事故 検証 (二)南新町交差点青信号事故 検証 原審では、本件事故をたまたまのものと述べられておられましたが、これにつきましては事実誤認であろうかとおもいます。 四、分離信号の理念 原判決では、「本件交差点は、停止線からの前方左右の見通しが良く、車両交通量もさして多くなく横断歩行者が極めて少ない交差点であり事故が多発していたこともなかったのであるから」として上川橋交差点にける歩行者への危険性を退けております。しかし原告が主張する分離信号設置の理念は、「分離信号にすれば事故は減少する」とお認めになられたとおり、非分離信号における歩行者への構造的な危険性を改善するためのものであります。したがって、結果は同じであれど、繁華街の交差点に集中して設けられた、途切れぬ多数の横断歩行者によって車両の通行が妨げられることを懸念し、歩行者を一時(スクランブル信号)遮断することにより効率的な車両効率を求めようとする都の発想とは大きな隔たりがあると言えます。 もし、都がいち早く「分離信号」を私たちと同じ人命優先の視点で捉えていたなら、より多くの分離信号が全国的に設置されていたことと思います。 五 歩行者への危険性の配慮 交差点に於ける同種歩行者事故の危険性は、きまった「しきい置」さえ究明されておりませんが、歩行者の類や数を含めた、歩行者の見落とされやすい道路環境、歩行者を見落としやすい構造車両および歩行者に与える殺傷力の高い車両の右左折頻度、それら車両の通行量や類似交差点での類似事故事故発生状況等を配慮すべきであるかと思います。 以上のことは、新たな証拠書類 歩行者への危険性に示すとおりです。 @大型車輌の危険性、殺傷力 A大型車輌の危険性、前方視野 B大型車輌の危険性、死角 C上川橋交差点の歩道危険性 D少ない歩行者の危険性 六 上川橋交差点と、押しボタン式分離信号 この地域の交差点は、右左折ダンプの往来が激しい中で通学児童や地元住民のごく少数が利用する交差点であるため、一旦歩行者事故が発生すると取り返しのつかない重大な結果が発生しておりました。当該交差点事故もその一つです。この事故が、歩行者の注意によって回避できないことを知り得た私たちは、実質的な安全を求め「押しボタン式分離信号」を提唱しました。当該交差点のように児童を中心とした横断歩行者が極きわめて少ない交差点での「押しボタン式分離信号」は、車両交通への環境もかえることなく現行法規に沿った最もベターで実質的な事故防止策と考えます。 新たな証拠。人命優先の分離信号 第三 「確認書」の提出について この度は、人命尊重を旨とする分離信号の事故防止策が私個人の偏った考えでないことを申し述べるため地元町会長様を中心とした地域の代表する方々からなる連判別紙「確認書」を頂きました。 この確認書は、事故直後からの「分離信号」を求める考えが、私たちへの個人的な同情や一時的感情の盛り上がりによるものではない証と言えましょう。 これは、当該交差点が採石場を有する郊外に位置し、大型ダンプの右左折が激しいうえに、歩行者が少なく利用者の大半が子供や老人であるがゆえに見落とされやすいとする地域特有の危険性を真摯に見つめ直し、マナーやスローガンのみで事故を防止できないことを知り得た地元を代表する方々や非分離信号で愛する家族を失い、目から血の出るような悲しみの中でこの危険性を知り尽くした同種事故遺族の方々が、大人社会が作り出した危険性の中で、なんの罪もない子どもたちに二度とこのような惨劇を与えまいとする強い願いが込められたものでもあります。 新たな証拠。地域代表、同種被害者遺族の確認書 第四 信号機への思い 私たち夫婦は、非分離信号で理不尽に命を奪われた我が子に変わり、少なくとも交通ルールを守る子どもたちが無事家に帰り着けるという当たり前の社会を願い、車優先施策に終始する被告東京都の瑕疵を主張してまいりました。 たとえ、私たち長谷個人の事故は風化され過去のものになろうとも、実質的な事故防止策である「分離信号」をもって今生きている子どもたちの安全をはかりたい」と願う私たちの心は過去のものではありません。 信号機にかける思いは、私たちと都の思惑には大きな隔たりがあるようです。昨今の信号機にまつわる資料(新聞記事)を提出いたします。 裁判長殿には、私たち夫婦の主張は一都民であるも、交通の安全に寄与すべき都の専門組織と比較し、真にどちらが人命尊重に配慮し、真にどちらが実状にあった交差点信号運用に真剣に取りくんできたかご判断いただきたいとものと思います。
第五 結語 都には、交通の安全と円滑を図ることを目的とした管制に自由裁量が認められておりますが、しかし自由裁量とされた場合であっても、法律による行政の原理、原則のもとでは、決して行政庁の恣意独断を認める趣旨のものではありません。信号機の設置には特段きまった規則はなくその設置、運用は都の自由裁量の中にありますが、歩行者のみが理不尽な被害を受け、過酷な結果を生じさせることがくり返し発生する非分離信号システムを、漫然と運用し執拗に固持し続ける都行政の施策は、人権を無視した裁量権のゆ越、濫用すら感じるところです。私は限られた平面交通の中、全ての交差点に歩車分離の「分離信号」を求め都の瑕疵を主張しているものではありません。 本件でその瑕疵を争っている「押しボタン式分離信号」は、歩行者の重大な危険性が予測される交差点において施行すべきもので、現行法規や現状の交通環境に照らしなんらの問題もなく公共交通の秩序を乱すものでもないことはいうまでもありません。 私は、都行政が安全で円滑な交通を担う指導組織であることを承知しておりますが、一律に非分離信号が正しいものと規定し、青信号を渡るなんの罪のない子どもたちの命の危険を犯してまで、車両効率優先の道路構造を求めてはおりません。おそらく多くの都民の方々の願いも「人命優先」道路交通を旨とし、安全と円滑がバランスのとれた交通環境の整備であろうかと思います。 「信号はなぜあるの?」「A,信号がないと交通事こにあうから」 大人が子どもたちに教育する命の安全を図るこの回答に、裏表があってよかろうはずはありません。本件の審理にあたっては、ぜひこの意をお酌み取り戴くと共に、無辜の歩行者が理不尽な事故から身を守れる安全な交差点システム構築の一助にご尽力を承りますよう、是は是、非は非とした裁判長殿のご配慮の程を伏してお願い申し上げる次第です。 平成十年五月二十一日 東京都八王子市 被害者元喜 実父 長谷 智喜 書類目次へ |