甲 準備書面(五) 平成9年10月2日

平成七年(ワ)第二六〇八号 損害賠償請求事件

原告      長谷智喜
        外一名

被告      東京都
        外二名

平成九年十月二日

        右原告ら訴訟代理人

弁護士     古田兼裕

東京地方裁判所 八王子支部

民事第三部 合議係 御中

準備書面(五)

 原告らは、先の平成九年五月二二日、本人尋問付原告長谷智喜本人尋問に於ける陳述証拠を提出するとともに平成九年七月一七日口頭弁論期日における主張に対し次の通り反論する。

第一 平成九年五月二二日付原告長谷智喜本人尋問に於ける陳述の証拠

一 被告芳村石産株式会社の事故について

 原告智喜は、尋問の中で、本件事故後のY石産の所属するダンプ事故について言及した。供述の当該事故は平成七年四月三日、本件交差点から二キロほど八王子よりの同秋川街道川口町に於いて発生、Y石産所属のダンプが、スピードの出しすぎによりコントロールを失い、ガードレールに接触して反対車線に飛び出し、前方より走行してきた車両と激突したというものである。

 右ダンプは、相手運転手を被害車両もろとも一瞬のうちに押し潰し死亡に至らしめるとい悪質な加害事故を惹起こしたのである。なお、現在も採石業界のダンプは、無線に興じながらの運転を多々行い続けているのが現状である。よって、被告Y石産は交通安全に努力したと主張しているが、これは加害者側の責を軽減するための方便でしかないととられても仕方ないものと思科する(甲第二五号証・川口町ダンプ事故)

二 分離信号運動の警視庁回答新聞記事について

 原告は、尋問の中で、分離信号運動中に於ける警視庁回答について陳述を行った。警視庁内容は当時の新聞記事に見られるとおり、「歩行者と車両が立場を尊重しお互いに注意しあう交通ルールの考えになじまない」とするものである。(甲二六号証 警視庁回答新聞記事)

 右主旨は、お互いに注意しあう交通ルールが存するのであるから、互いに注意をしあえば事故は発生ない、というものと受け取られる。右回答は、一見もっともらしく耳障りのよいものに聞こえるが、非分離信号を青色燈火で渡る歩行者の環境は、相互に注意をしあうことが出来る状況にあるとは言い難い。蓋し、非分離信号の交差点に於ける歩行者は、自らが完全に交通ルールを尊守し注意を怠らなかったとしても、過失を犯した車両と遭遇した場合には全く危険を回避できない環境におかれているからである。このことは、既出の甲第十五号証(非分離信号における歩行者・車両視野図)に示したとおりである。

 なお、被告東京都は、分離信号は現在の交通ルールに馴染まないと言明しているが、特殊事情と称して、一部の交差点には、自らが交通ルールに馴染まないと主張する分離信号を設置している。原告らは分離信号の推進を望ましいものと考えているが、被告東京都の主張は明らかに内部矛盾を抱えるものである。これら特殊事情に関しては、危険認識に問題のある都の自己弁護にすぎないものと考えるが次項於いて逐一指摘する。

第二 被告東京都提出の加藤信夫証人尋問に対する反論

一 被告東京都が主張する交差点の特殊形状につき反論する。

 被告東京都は、車両の転回速度が早いことを危険性の高い主な理由として、X字路、Y字路などを特殊な交差点構造として掲げている。

 しかし、都市計画が整然となされているような場所を除き、X字路、Y字路の交差点は全国いたるところに多数散在している。特殊信号と称している中山交差点の交差角度は八五度、城山大橋交差点では六〇度の角度をもって主導路と交わるとされているがこれは特にめずらしいものではない。敢えて言うならば、直角に交差する交差点の方が比較的稀な形状であるともいえる。特殊とはその数量が稀なものに冠される言語であり、従って全国いたるところで多数みられるX字路、Y字路形状のものだけを殊更に特別視し、これを特殊事情であると決めつける被告東京都の主張は失当である。

(甲二七号証、市内X,Y字路の交差点)

二 交差点の車両転回速度について反論する。              

 X字路、Y字路交差点は車両転回速度が早いので危険性が高くなるとする被告東京都の主張は、道路形状を基準に転回車速の危険性を捉えた一般論としては理解できるものである。

 しかし、車両転回速度が高いのは、X字路、Y字路のみに限定されたものではない。直角に交差する交差点であっても道路幅が広く大きな隅切りをした交差点では、車両転回速度が高くなり危険な交差点であるといえよう。車両優先の効率主義で作られた交差点では特にその傾向がく、原告らは自らの分離信号運動に於いて、上川橋交差点以外で危険性の高いとされる交差点を種々指摘し警視庁交通管制課に改善を要望している。

 原告らが指摘した右交差点はT字路であり、例えば十六号バイパス左入交差点がその典型である。この交差点は、T字路の形態をもつが高速道路からの出入り車両、車両専用道路ともいえる十六号バイパスからの出入り車両が交差する片側3車線を有する市内一の大型交差点である。信号制御は、ここでも非分離式である。従って、歩行者は交差点を通過する車両の転回速度が非常に速く、横断道路幅が大きいこともあって、ややもすれば車道を渡り切ることが出来ずに僅かな中央分離帯の縁石に取り残されてしまうという事態が発生していたのである。よって、右の例からもX字路、Y字路交差点のみが車両転回速度が速い特殊なものではないことが証明される(甲第二八号証・十六号バイパス左入交差点)。

三 非分離信号が認知されているとの主張について反論する。

 被告東京都の加藤証人は、非分離信号は全国的に設置されており国民に認められているものであると供述するが、この主張は、被告東京都が車両効率優先の交通システムを重視するあまり、歩行者の本質的な安全性を省みずに一方的に作り上げてきた非分離信号制御システム擁護論であるといえる。

 都民においては、分離信号、非分離信号の選択を与えられたことなど過去に一度もなく、また右信号のもつそれぞれの、特徴、長所および短所などは知らされたこともないのである。都民ならず、多くの国民は、分離信号の意味すら知らないのが実状なのである。従って、非分離信号が国民に認められているとする右陳述は、単に行政内に於ける自画自賛の域を脱し得ない倫理であるともいえる。

 原告ら及び交差点の実態を知り得た分離信号運動賛同者に於いては、歩行者への危険性が極めて高いとされる交差点でさえも一律に非分離信号を設置しようとする交通行政に対し疑問の念をもち続けているものである。

四 分離信号要望は原告ら及び関係者だけであるとする主張について反論する。

 加藤証人は、分離信号の要望を、原告らおよび原告らの関係者だけが求めていると供述する。しかし、分離信号運動が、本件事故の検証・公表に端を発して、その署名が自然派生的に増加しているという事実は、運動中にも警視庁にも報告しているとおりである。

 署名賛同者は、最終的に22091名にものぼっている。とりわけ本件事故発生交差点が設置されている上川町では、地元子どもたちの安全を求める声が高く、住民の大半である、約3000名の署名が集められている。なかでも当該交差点を利用する通学児童の保護者である訴外岡崎氏においては、独自に署名運動をとりまとめて各方面に分離信号の改善を試みたりしている。

 また、交通管制課の対応に疑問を感じ提出した再要望書(平成6年1月提出)については、近隣の25町会、4自治会、20団体6企業からも賛同を得ているものである。(甲第二九号証、再要望書賛同者、団体名)さらに、平成四年十一月二〇日、上川橋小学校職員による分離信号請願書は、原告らも知らない事故直後の状況下で提出されていたものである。(甲○○号証、上川小学校職員請願書)

 このように、分離信号運動での署名は、正に交差点システムの安全性を高めて歩行者保護を願う住民の真の声であることは言をまたない。これら多くの声を無視して、原告個人の関係者のみの認識であると主張する加藤証人の供述は、官僚主義とのそしりを免れないものであり、国民の一般感情から大きく逸脱したものであると言わざるを得ない。都の主張は失当である。

五 分離信号にすると歩行者が信号待ちが出来ないとする主張につき反論する。

 さらに加藤証人は、分離信号にすると歩行者の待ち時間が長くなり、歩行者がま待ちきれなくなって、信号を守らなくなるために却って危険である旨供述した。

 しかし、隣合わせに設置されている分離信号の八日町交差点と非分離信号の小谷横町交差点では、被告東京都の主張と全く異なる現象が発生している。八日町交差点での歩行者の最長待ち時間は1分35秒、小谷横町交差点でのそれは、37秒である。実際に現場に於いて注視して観察すると、分離信号の八日町交差点では信号無視をする者がまったく存在しないのに対し、待ち時間が短いはずの非分離信号の小谷横町交差点では、ときおり大挙として信号無視をなす者が発生している。この信号無視の主な原因はおそらく交差点を利用する者が、これらの交差点の危険性が全く違うことを承知しているためであろう。

 本件に於いて被告東京都の瑕疵を争っている上川橋交差点は、車両の往来が激しく、大型ダンプの右左折の頻繁な危険性の高い交差点である。従って、論旨に合わない被告東京都の主張は、現状分析に乏しい狭義の一般論ともいえる。(甲第三一号証 小谷横町交差点)

六 分離信号にすると交通渋滞が発生するという主張について反論する

 加藤証人は、分離信号の問題に関し交通渋滞をさらなる要因として指摘しするが、

 本件で分離信号への改善の是非および被告東京都の瑕疵を争っている上川橋交差点は、郊外に位置する、横断歩行者の極めて少ない交差点である。さらに交通量はダンプ等の右左折が激しいものの、朝夕の通勤時間帯を除き、交差点の交通容量には余裕がある。このような状況下で、ごく少ない歩行者が横断する時のみ一時的に車両を全赤で停止させたとして、もさしたる渋滞は発生し得ない。

 よしんば一時的に飽和状態が発生したとしても、そのような場合の多くは、より市街地に近い他の交差点もやはり飽和状態にあるのである。限られた道路環境の中で郊外の或る交差点の交通効率を高めることは、その先の別の交差点の渋滞が激しくなるという現象を引き起こすことがある。いずれにせよ、車両がどこで並ぶかの問題である。当該交差点は、大型ダンプが右左折する歩行者にとって危険性の高い交差点である。

 些細な渋滞を盾に、歩行手段しか持ち得ない児童の危険性を冒してまで車両効率を優先する被告東京都の主張には正当性を見いだし得ないものである。

七 上川橋交差点における事故は一件のみであるとする主張につき反論する。

上川橋交差点事故の特徴は左記のとおりである。

 (一) 被害者は、青信号に従い横断中であった。

 (二) 被害者は、背後からの車両によって一方的に蹂躙された。

 (三) 被害者は、交差点を生活の場としていた地元住民である。

 (四) 加害車両は、採石場大型ダンプである。

 (五) 加害車両の転回速度は、早くない。

 (六) 交差点の見通しは良好である。

 (七) 交差点の形状は、概ねT字型である。

 (八) 交差点の交通量は多い。

 (九) 歩行者の利用は極めて少ない。

 (十) 交差点は、採石場大型ダンプが頻繁に右左折する。

 (十一)交差点の信号制御は二現示、非分離式だった。

 加藤証人は、本件交差点に於ける事故は一件のみであることを殊更に主張し当該一交差点における事故の少なさを強調しているが、近隣交差点でも同種の事故が多発している。このことは既出の、甲第九号証に記載のとおりであるが、更に詳細に表記したものが近隣交差点事故との比較表である(甲第三二号証 近隣事故比較表)。

 右甲三二号証における事故の特徴は全ての項目で当該事故と一致しており、酷似した事故形態である。被害者は、みな青信号に裏切られるようにして無惨な死を遂げている。本件被害者もその一人であり被告東京都の交通指導を信じて疑わなかった無垢な心は、先の陳述書で提出した「信号はなぜあるのか A信号がないと事故にあうから」と書かれた被害者の自作カードに見られる通りである。

 右近隣事故での何かしらの相違があるとすれば被害者および加害者の氏名くらいであるとさえ言える酷似の特徴をもつこれらの事故は、本件事故と同一環境に於いて発生した同種事故である。 本来、被告東京都は、これら過去の事例に鑑み将来の事故防止に全力を尽くすのがあるべき姿であるにも拘わらず、本件事故と関連性の極めて高いこれらの事故事例に蓋をし、「上川橋交差点に於ける事故は一件のみである」と主張し続ける姿勢は、事故防止を願ってやまない国民の一般概念から大きく外れるものである。

 被告東京都は、本件事故の分析、捉え方そのものに問題があると言えよう。

八 分離信号機への改善費用について反論する

 分離信号改善費用についての裁判長の質問に対し、加藤証人は「信号機を作り替えるのに(信号機を作るのに)近い値は出てくるかと思う」と供述した。

 信号機の大まかな構成は、信号支柱、車両用信号灯、信号制御盤である。ここに歩行者用信号が設置されていれば歩行者用信号灯が加えられることとなる。もし、これに押しボタン制御の改善を施すとなれば、押しボタンの増設と信号制御盤への配線、制御盤内のロジックの変更が加えられるだけである。原告智喜は先の尋問に於いて改善コストの低さを指摘した。

 加藤証人は、警視庁交通管制課に籍をおき、信号機担当管理者として信号機の設計計画や、信号機に伴う交通規制の事務の職務についていた者である。警視庁交通管制課を代表する右証人が、非分離信号から分離信号への改善をした場合の費用について「信号機を作り替えるのに近い値は出てくる」と供述するのは、一般常識から考えても理解し難いものである。被告東京都におかれては正確な証拠提出をされたい(甲第三三号証・非分離信号と分離信号機)。

第三 交差点の安全性について

 被告東京都は、交通の安全性の確保には、交通ルールを守ることが大前提であり、道路環境が次につづく重要な要素としている。

 しかし、本件事故のように、交通ルールを尊守する歩行者が死亡しているのも事実であり、この事実は交通ルールを守ることだけでは安全性が確保されていないことを物語るものである。

 事故を惹起する直接の原因は人間の過失であるが、もとより人間注意力は完全とはいえない。そうした前提にも拘わらず、不確実な安全性の中で歩行者を車両とをと交差させているのが二現示式の分離信号である。被告東京都自らが主張するように、ルール尊守の次に大切な「道路環境」を、万一起こるかもしれない人間の不注意に備え、より安全性の高いものに整えていく努力こそが必要であろう。

 また、被告東京都は交差点に於ける歩行者の危険性つき車の転回速度の高さや、見通しの悪いとされる道路環境にあると重視し、その他の問題については安全である旨主張するが、その安全性の根拠はどこにも見あたらない。本件事故の直接原因も注意すべき対象物(横断歩行者)の見落としであり、このことは他の多くの加害者にみられる過失内容でもある。

 従って、交差点における歩行者の危険性とは、単に車両の転回速度が高い等にあるのみならず、見落とされやすい歩行者交通環境(歩行者の少なさ)、見落としやすい車両交通環境(大型車両等の右左折頻度)など多々起因は存在するのであり、これを管制できる立場にある被告東京都は、より十分な配慮、研究をされるべきであると思科する。

第四 結論

右に述べたように被告東京都の主張は幾多の大きな矛盾点が散見される。

 特に原告らは、安全環境の配慮と整備を怠りながら「交通ルールを守れば事故は発生しない」とする、被告東京都の人間の注意力のみに責を求めようとする事故防止論に大きな疑問をもつものである。蓋し、本件事故に於いても交通ルールに従順に従った歩行者が加害車両運転手の不注意により死に至らしめられているが、これは信号機の適切な設置により未然に防げる事故であったといえるからである。

 当該交差点に非分離信号を設置したことの瑕疵を被告東京都に求めることは、今日までの交通行政の根幹にふれることとなるかもしれない。しかし、交通環境に適合した分離信号の設置は、右左折車両による歩行者被害事故防止の特効薬にもなり得るものと考える。絶対歩行者とは、車両を運転する者の妻子や親、老人たちであり、これらの者を守るべき交通システムを構築することこそ自らの家族を守り、ひいては国民の幸福につながるものと言えよう。 

 被告東京都に於いては、今こそ車優先の信号システムの瑕疵を率直に認め、非分離信号交差点における歩行者の危険性について真摯にとりくみ、少なくとも交通ルールを守り青信号を横断する子どもたちが無事に家族のもとに帰り着くという、当たり前の交通環境を整えて頂きたいと切に願うものである。

                                      以上


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