甲 準備書面(四)平成9年3月13日

平成七年(ワ)第二六○八号損害賠償請求事件

原告 長谷智喜 外一名

被告 東京都  外二名

平成九年三月一三日

右原告ら訴訟代理人 

弁護士古田兼裕

東京地方裁判所八王子支部

民事第三部合議係御中

準備書面(四)

被告東京都提出の平成九年一月一六日付準備書面(三)に対する反論

一 総論

 被告東京都は、あくまでも本件信号機の設置管理につき自らの瑕疵がないとして、本件交差点を危険度が高い交差点ではない旨主張をするが、原告らはこれに異議を唱えるものである。

 二現示方式非分離信号に於ける人と車両との交差構造は、歩行者のみが一方的にその生命を奪われる危険性を具有していることの認識がまず必要である。

 被告東京都は、右構造的要因には一切触れようとはせず、交差点の形状、歩行者及び車両の交通量、事故発生の頻繁度から当該交差点には特に危険性が認められないと主張する。しかし、当該事故を含め、同種事故の発生状況は被告東京都の主張とは大きく異なり、車両展開速度の早い形状の交差点で事故が多発しているという事実はなく、車両展開速度が遅く歩行者通行量が少ない状況下に於いても頻発しているのである。なお、これら重大事故の特徴して、加害車両の多くが大型ダンプをはじめとするキャブオーバ一車両であることが印象づけられるのである。従って、事故状況事実の調査からは、上川橋交差点を危険が少ないとする根拠は何も見当たらないのである(甲第二○号証・非分離信号右左折事故交差点調査)。

 寧ろ、上川橋交差点周辺は、低速度に於いても歩行者に致命的危害を与える大型ダンプの往来が激しいという現状が存在するのである。更に、それら大型ダンプの多くが無線片手に往来を走行するという最も事故発生危険率の高い車両なのである(甲第二一号証・ダンプ車両無線・携帯電話の実態)。

 また、当該地域の交差点では、大型ダンプの著しい過失によって交通事故が頻発していた事実を考え合わせれば、上川橋交差点及びその周辺は明らかに危険度の高い地域であると見倣すことが出来る。なお、当該交差点は、総合的な見地から、「押しボタン式分離信号」の設置によって容易に未然に事故の発生を防止出来得る状況にあったのであるから、被告東京都の当該信号運用に対する瑕疵は否めないのである。

二 被告東京都の過去の事故例に対する分析について

 更に、被告東京都は過去の事故事例を省みようとしないことに間題があると考える。

 被告東京都に於いては、原告らが指摘した三件及び同種の事故事例につき、「件数が少ない」「街道が違う」「事故が旧いもの」として、あたかも過去のものに蓋をするかの如く自らの無策を複い隠そうとしているかに見える。

 本来、都民の安全と平和に貢献すべき被告東京都は、旧き事例を研究した上で新しき対策を生み出すべき使命があるのではないであろうか。同一交差点で歩行者が死亡するような事故が多数発生しなければ交差点の危険性を認識できないとするのであれば、原告らは被告東京都の交通安全施策能力を疑わざるを得ない。

 原告らが指摘した三件の事故事例は、街道名は異にするものの、危険地域にある隣接した交差点に於ける同種犠牲者の墓標とも言える。元来、これら周辺地域の在住者は、市街地や住宅地に比較して極少数である。人口比に相対する犠牲者としては余りある数とも言える。被告束京都が今後も死者の多寡論を講じるのであれば、この後何名の犠牲をもって交差点及び地域の危険性を認定するつもりであるのか、具体的に数字をもって明示されたい。再度この種の事故が発生するとなれば、その被害者は常時そこを生活の場として歩行横断する交通弱者、地元住民の子供や老人になるのである。

 原告らは、本件交差点周辺地域でのこのような交通事故死の犠牲者を一人も容認することは出来ない。

三 被告東京都の信号機設置基準について

1 ところで、「二現次方式の信号設置を原則」とする被告東京都の主張は、時代と共に変化する今日の交通環境への適応性、及び歩行者への安全配慮を欠いたものと言える。二現次方式の信号は、多くの歩行者が一方的に犠牲となり続けた、人と車両とを分離しない危険性の高い交差方式である。それゆえ、その信号運用は、過去の事故事例を教訓に柔軟に運用すべきであると思料する。被告東京都が交差点に於ける非分離信号機設置の原則を主張するのであれば、非分離信号運用に於ける歩行者への安全性の高さをも実証すべきである。

 二現次方式の信号設置は、歩行者への危険性が懸念されるものの、人と車両が限られた同一平面上の交差をしなければならない状況にあって、両者を効率よく運行させなければならない理由から、ある意味ではやむを得ない方式であると考える。しかし、本件事故と同種の死亡事故の危険性が十分指摘されるような場合に於いては、より安全性の高い三現示方式(分離信号)等の設置という対処を図るべきであると考える。

2 被告東京都は、道交法第三八条一項の交通ルールが国民一般に定着している旨主張するが、原告らもこれに異論はないものである。しかし、車両運転手の不確実な注意力にたよる非分離信号交差点は、懸念されるとおり当該事故を定型の事故形態として定着させていることも事実である。

3 原告らが摘示した分離信号交差点の意図は、分離信号を特殊信号として見るのではなく、歩行者の生命を守るのに最も適したものとして、ごく自然に現在の交通環境に馴染んでいる現状の摘示である。

 被告東京都は、分離式信号機の設置理由につき元本郷交番前交差点に言及しているが、原告らが甲第一三号証に於いて主張した意図を理解していないかと思える。原告らが元本郷交番前交差点を摘示したのは、町中の交差点で分離信号を設置しても場合より渋滞には全く影響を与えないこと、また危険性の低い交差点でも分離信号が実際に設置されているという事実を指摘したものである。原告らは毎日通勤に当該交差点を利用しており、その信号運用は熟知しているものであるが、当該交差点の横断者の数は少ないものである。従って、「横断歩行者のため右折流の確保することが困難な状況にある」とする被告東京都の主張は事実に即しておらず失当である(甲二二号証・元本郷交番前交差点渋滞検証)。

 但し、原告らは、元本郷交差点に於ける分離信号設置を非難するものではない。他の交差点と比較して危険度が低いとはいえ、幼い通学児童の利用する当該交差点が分離信号設置であることは喜ばしいものと考えるのである。非分離併用信号とはいえ、このような交差点の信号運用を強く望むものである。

四 被告東京都の危険性の認識について

 被告東京都は、現在の交差方法に大きな危険性が潜んでいたとしても、事故の頻度が少ないであろう、また他に比較して事故の確率が低いであろうとして、歩行者の安全性に欠ける非分離信号を使用する。即ち、事故の発生確率によって歩行者の危険度を論じているのであるが、どこにボーダーラインをひくのかは不明確である。

 披告東京都は、人の安全な横断、車両の効率の良い運行を五分五分に考えていると思われるので、この点につき検討する。双方の衝撃強度が対等であるならば、人と車両とを平等に考えるのもあながち不自然ではないといえるが、人の肉体は極めて脆いものであるという認識をも交えるべきではなかろうか。人は自らの過失で車両に衝突しても、車両の過失で衝突を受けても、直接生命の危険に晒される弱い存在なのである。人と車両を完全対等に考えて交差運行されることに疑問が残るのである。歩行者への危険性が高く、重大事故の確率が高いものは分離信号にする必要がある。

 次に、被告東京都は、非分離信号に於いては歩行者の信号遵守義務及び安全運行と運転手の安全義務を前提にして安全性は低くない旨主張する。非分離信号の運用は、運転手の注意義務が大前提となるという主張である。

 しかし、事故の発生は、多くの場合、運転手の注意義務の怠りに起因するものである。人が歩行中に注意義務を怠った運転手と遭遇した場合には危険回避不可能である。ましてや子供の場合は、大人と異なり、そうした運転手の実情を踏まえた認識が困難であり、そのことを理解させ安全配慮を求めること自体極めて難しいのである。

 非分離信号では、当然に運転手の注意義務の怠りの数だけ、一方的過失による事故の発生する交通構造にあるということが出来る。交通の安全への貢献とは、このような一方的な事故が起きないような構造にするべく与することである。それゆえ、必要と認められる所には、弱者保護、人命尊重の観点から、出来得る限り危険防止対策を施さなければならないのである。被告東京都の安全性に対する認識には間題があると言わざるを得ない。

五 結論

 以上のように、本件信号機は運用次第で具有すべき安全性を高めることが可能であったにも拘わらず、被告東京都はその連用を怠っていたということが出来る。被告東京都はかかる信号運用の瑕疵を認め、国民により安全で快適な交通構造を提供する義務があることを認識して頂きたい。

                                    以上


書類目次へ