交差点において同方向の人と車を同じ青信号で進行させた場合、必ず人と車が交錯する物理的現象が生じます。
もともと人間の注意力とは不確実性の高いものです。一般交差点(非分離信号)をよく注意して観察すると青信号を横断する歩行者というものは、背後からの右左折車両の注意力に命を委ねて歩く構造であることがわかります。
つまり私たちは自らの子どもの命を、他人の注意力に委ねていたのです。子どもたちへの右左折蹂躙事故が発生するのは当然の理です。
この種の事故は、青信号を頼りに自らの被弱な命を守ろうとする子どもが、実は安全の裏付けのない青信号(不確実な人の注意力)に裏切られるようにして死にいたらしめられるものです。この種の事故は「人と車が交錯する物理的現象」を取り除くことによって簡単に解消することができます。すなわち、交差点の「分離信号化」ですが、担当行政は、効率が悪くなるとして否定的です。
したがって、右左折車両に輪禍される青信号の被害者とは、最大の車効率を求めてやまない「行政が容認する交差点の人柱」と言えるものなのです。
「なぜ、青信号を渡る子どもが、
事故の犠牲に遭わねばならない!」
私は、息子の理不尽な交通死から、右左折事故の真の危険性、偽青信号の実態を知りました。 同時に、私たち大人は、なんという惨いシステムを子どもたちに課していたのだろうと思いました。
行政がこの種の事故から本気で子どもたちを守るつもりがあるのなら、当事者同士の注意力のみに事故防止を求めるのではなく、歩行者への右左折蹂躙事故が危惧される交差点では、人と車を分離(人青・車全赤)をするなどのシステム的な改善をしていかねばならないと痛感いたしました。それが「分離信号運動」の始まりです。
そもそも個々の交差点は、通過する車両の種別や量、歩行者の種別や量、さらに道路の幅や交差する角度のちがいによって、横断歩道を渡る歩行者の危険度も違ってきます。
青信号歩道で右左折蹂躙事故が
頻発することは、歩行者への安全の裏付けがないことを意味します。
このことを十分承知している行政は、子どもたちにとってより安全性の高い「分離信号」を用いて、真の青信号を積極的に模索・研究をしていくべきでしょう
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